タバスコ









 ふと目が覚めてしまった。時刻を確認すると午前二時。起きるには早い時間だ。
 寝てしまおうと布団に潜ってみたが、腹の虫が鳴って眼が冴えていくばかり。
 仕方ない。夜食でも作ろうか。


 先日、人理焼却を免れることができて世界が戻ってきた。
 少し前までは国連だとか魔術師協会だとかが出入りしてこのカルデアもこれまでとは別の緊張感が漂っていたけれど、ひとまず、自他ともに認める天才ダ・ヴィンチちゃんのおかげもあり平穏を取り戻せている。
 カルデアに来てくれていたサーヴァントの数は少しだけ減った。人理焼却を回避したのを見届けて英霊の座に戻っていった人たちもいるのだ。
 少しだけさみしいと思う一方、最後まで手を貸してくれた彼らに感謝する。


 食堂のキッチンに入り、冷蔵庫の中を確認する。
 世界が存在し続けているため、食糧庫も復活した。夜食をこっそり作っても叱らない程度には潤沢だ。
 野菜を適当に選び、うどんに手を伸ばす。
 焼うどんを作ることにした。夜中の炭水化物という背徳感に思わず笑う。



 数か月前、しかし感覚としてはついこの間。私は夜中の炭水化物を経験していた。





 二度目のレイシフトを終えて戻ってきた私はふと、改めて自分の置かれた状況を自覚してしまった。
 人類を終わらせてはいけないと思って最初は必死に駆け抜け、そして、今の時代に生きていて目の当たりにすることのない沢山のものに触れた。死と憎悪と悲哀。
 自分が失敗すればすべてが無くなってしまう。過去も未来も。
 突出した能力を持つ魔術師ではない自分にそれが出来るのだろうか。怖くて震えて、そして、逃げる様に部屋を後にした。

 ドクターに何か薬をもらえないだろうか。何かいいクスリはないだろうか。
 医務室に向かう途中、食堂の電気が漏れていた。
 誰かが居るのだろうかと覗き込んでみると、今会いに行こうとしていたドクターロマニがそこにいた。
 変な鼻歌を歌いながら野菜を切っている。
 ふと顔を上げたドクターと目が合った。彼は瞠目して少し眉を下げた。
「どうしたんだい」
 声をかけられ、しかも用事のある相手がここにいるのだ。私は仕方なく食堂に足を踏み入れた。
 その当時はカルデア以外の世界が終わっており、つまり食糧は潤沢ではなく、けれども、カルデアに常駐する職員の数も予定よりもずいぶんと減少していた。つまり、少しばかり夜食を作っても備蓄にはさほど影響がなかったのだろう。
「眠れない?」
 少し首を傾げてドクターが言う。
「はい」
「そうか。僕、これから夜食食べるんだけど、どうだい?」
「ドクターは料理ができるんですか?」
 なんだか意外に感じた。彼はこのカルデアに常駐しているスタッフだ。食事は食堂で賄うことができるし、売店で何かしら購入して済ませていたのではないだろうか。つまり、食事を作ることの必要性は見られない。
 それなのに、彼はいま夜食を作っているという。
「まあね。身体を壊すほどの料理音痴でもないし、まあ、食べていってよ」
「何を作ってるんですか? って、焼きそば? 夜中の炭水化物っていいんですか?」
 太ると思う。
「良いんだよ。僕はずっと頭を使ってるし、君は文字どおり世界を駆けまわっている。むしろちゃんと摂取しないとだめだよ」
 ドクターは再び調子っぱずれの鼻歌を歌い始めた。

 皿に盛り付けて自分と私の前に焼きそばを用意したドクターはさらにタバスコを振って食べ始める。
 湯気が立ち、食欲を刺激するソースの香り。美味しそう、と思うには十分だが私は食欲がわかなかった。
 手を付けない私の様子に「自信作だよ」とドクターは声を掛けてきた。それでも、私にはドクターの気遣いを慮ってそれを口にする余裕なんてなかった。
「辛いかい?」
「怖いです」
 優しい声音で問われて私は何の抵抗もなく本音を返す。
「うん、そうだろうね。君はマスターとしての素養があるからという理由で、このカルデアの職員数の確保のために補充された、たいして期待をされていない唯の一般人とそうわからない普通の人だ。世界を救う予定なんて君の人生設計には入ってなかっただろうね。今のこの状況は君にとって凄く重いもので、プレッシャーも相当なものだろう。僕は今となってはこのカルデアの最高責任者に納まってしまった。だから、「もういいよ」とは言えない。諦めていいよと、逃げても良いよとは僕からは言えない。でも、君が逃げたいと言ったら、僕はそれを責めるつもりも引きとめるつもりもない。いや、一回くらいは考え直してくれってお願いするかもしれないな」
「逃げても良いんですか?」
 意外な言葉に思わずドクターを見た。彼はやはり困ったように笑っている。
「いいよ。そうなったら残ったスタッフ総員で最後まで人理焼却回避の方法を模索するだけだ。ああ、勘違いしないでほしいんだけど、『君が居なくてもどうにかなる』という意味じゃない。本当は『君がいないとどうにもならない』というのが今の段階での人類の未来だ。本来、あの爆発で全てのマスター候補が居なくなっていた。あの時点で人類の未来はなかったと言って等しい。でも僕たち人類は本当に運がよかった。君が生きていた。マシュがデミ・サーヴァントになった。諦めなくてもいいと思える形がそこにあったんだ」
 ドクターは続ける。
「僕はね、君みたいにこのカルデアを離れることができないし、ましてやマスターとしてサーヴァントと契約してレイシフトすることはできない。実際に痛い思い、辛い経験をするのは君とマシュだ。でも、僕は君たちのその痛い思いや辛い経験を少しでも緩和できるように全力でサポートすることができる。僕の唯一の、そして最大限の出来ることだと思っている。どんなに細い、それこそ蜘蛛の糸のように細い、希望に繋がる道かもしれない。でも、『在る』なら諦める気はない」
 私がこのカルデアに来てから経験したことは辛いことだった。悲しいこともあった。
 ――でも、本当にそれだけだっただろうか。
 レイシフト先での出来事は、なかったことになると聞かされた。それがわかっていても、夢中で走った。駆け抜けた先に広がった景色を見てしまった私には、少なくとも私の中では『なかったこと』にはならない。マシュもきっと同じだ。二人で見た景色を否定したくない。
 私は目の前に置かれた箸に手を伸ばして焼きそばを口にする。
「どうだい?」
 味の感想を聞かれて私は素直に「冷めてて微妙です」と答えた。
「長話しすぎたかな。じゃあ、そうだね。今度、人理焼却を回避できたら今度は野菜をケチらず、たっぷり入れた焼きそばを作ってあげるよ。絶品だって手放しでほめたくなるに違いない」
 自信たっぷりに言うドクターに「マシュも誘って御馳走になります」と私は返した。






「お、なんだ。太るぞ」
 野菜を炒めていると声を掛けられた。視線を向けると英霊の座に帰らない選択をしたサーヴァントが居た。私が旅を始めた初期のころにこのカルデアに来てくれたクー・フーリンだ。
「普段動いているからいいの」
「今そんなに動いてないだろう」
 私の反論に彼は笑う。
「うるさいなー」
「酒はないのか」
 言いながら彼はキッチンに最も近い席に腰を下ろした。
「私、未成年」
「俺は飲めるんだよ」
「じゃあ、自分で調達してきてよ」
「道理だな」
 動く気はないようで、彼は椅子に腰かけたまま笑った。
「ほう、マスターも料理の心得があったのか」
 また別のサーヴァントがやってくる。エミヤだ。彼の料理の腕前はカルデア内では有名で、噂では弟子入りを志願している人もいるとか。
「サーヴァントって夜行性なの?」
 うどんを炒めながら問いかけてみると「別に夜行性という習性はないな」と律儀に返された。
 そのまま彼はキッチンに立つ。
「おい、エミヤ。俺は酒を調達して来るからつまみを作ってくれ」
 クー・フーリンが言うと私の隣に立つエミヤの眉間に皺が寄る。
「どうして私が」
「お前の分の酒も調達してくる。これならフェアだろう?」
 ため息を吐いた姿を見て了承と取ったクー・フーリンは食堂を後にする。
「マスター、コンロを一口借りても大丈夫か?」
「うん、いいよ。でも、エミヤが買収される姿を目にする日が来るとは……」
「人聞きが悪いぞ、マスター。買収ではない、等価交換と言うやつだ。……マスター、味付けはそれだけでいいのか?」
 コンロの火を止めた私にエミヤは何か言いたげに問うてきた。
「うん、食べる前にタバスコ振るから」
「タバスコ?」
 怪訝な表情を向ける彼に「あとで一口食べてみる?」と問えば「頂こう」と頷く。興味があるらしい。

 タバスコを振った後にエミヤ用に小皿にすこし取り分け、自分は早々に夜食を口にする。
「待ってないとか薄情だろう」という酒瓶を持って戻ってきたクー・フーリンに視線を向けるとその後には酒の持ち主だったのだろう、ドレイクの姿があった。
「マスター、それアタシにもちょうだい」
「ちょっとだけだよ。皆に分けてたら私の分がなくなる」
「いいだろう。アタシとマスターの仲だ」
「どういう仲だ」
 キッチンの中からツッコミが入ると「妬くんじゃないよ」とドレイクが笑う。





 あの時、足を止めなくてよかったと今なら思う。
 足を止めて目を瞑って耳をふさいで終わりが来るのをただ待つだけの道もあった。
 でも、それはきっと道ではなかった。続く先がないから。
 このカルデアに残った人間と、カルデアに召喚されたサーヴァント、そして、レイシフトした先で出会ったサーヴァントやその時代の人たち。
 皆で取り戻した過去と未来。



 未だ約束の焼きそばは食べることは出来ていないけど、諦めなかった未来は、『現在』としてここに在る。







桜風
17.4.26初出
(19.9.15再掲)