そして歩き出す








 世界唯一のマスターと言われていたのは少し前の事。
 今では、きっとその冠詞は無くなっている。
 人理修復という大きな結果を得たが喪ったものも大きかった。
 喪ったものを想う暇もなく事態が動き、その状況を把握することもままならないまま今を迎えている。
 復活した、というか無くならなかった魔術協会がカルデアに手出し口出しをし、その手出し口出しは協会内の派閥争いに繋がっていたらしく多くのサーヴァントとの契約を果たした彼女の身柄は四六時中狙われていた。
取り込もうとする派閥。どこに渡ってもろくなことにならないと失くそうとした派閥。旗印にして新たな派閥を作ろうとした者もいた。
 しかし、そんな権謀術数の中、未だに彼女が無事でいるのは偏に共に戦った、あの爆発からの生き残りの二十余名のスタッフと天才レオナルド・ダ・ヴィンチ女史。そして、このカルデアに残ったサーヴァントたちが彼女を守っているからだ。


 彼女は人理修復を目的に多くのサーヴァントを召喚し、契約した。
 つまり、人理修復が果たせた今は彼らとの契約は必要なくなった。
 だから、英霊の座に戻っても構わない。実際、そういう話をした際に、帰ったものは居た。
 なお、表向きは『一部のサーヴァントは残った』だが、実際のところは『殆どが残った』という状況だ。
 彼女の身辺が怪しくなったことに気づいていたサーヴァントの多くが残ることを選んだのだ。
 今となってはカルデアを支える重要な人物となったダ・ヴィンチに自由は少なく、目が届かないところが多い。
 一度は契約をしてマスターと認めた人間が殺されるのも利用されるのも甘受できないと思ったのだ。



 サーヴァントたちが英霊の座に還ると定めた日、彼女は見送りのためにその場にいた。
 たくさん助けてもらった。たくさん支えてくれた。これ以上助けてなんて言えない。

「マスター」
 透き通るような涼やかな声が彼女を呼ぶ。
「私、カルデアに残るわ」
 高らかに宣言した王妃に彼女は目を丸くした。
「え、でも……」
「確かに、私とあなたはサーヴァントとマスターという関係よ。人理修復のためにあなたに呼ばれてその声に応えたわ。でも、私とあなたの関係はもうそれだけではないでしょう?」
 どういうことだろう、と彼女は考える。若干背中に刺さる視線が痛い。
「『お友達』。そうではなくって? それとも、私だけがそう思っているのかしら?」
 背中に刺さる視線の痛みが少しだけ緩和された。
「そう、思ってくれるのはすごく嬉しいけど」
「だったら理由は充分だわ。だって、私知ってるのよ。お友達は、困ったときに助け合うものでしょう?」
 だから残るのよと続けた王妃、マリー・アントワネットの斜め後ろには、いの一番にこのカルデアにやって来たランサーが呆然としていた。
 カルデアに残る名乗りもいの一番にする予定だったのに、王妃に取られてしまった。
 気を取り直して咳払いを一つして彼も名乗りを上げる。
「わが槍はまだあなたの力になれることでしょう」
 それから自分もと残ることを宣言する者が続々と出てきた。
 嬉しい反面、なにも返せない何もない自分を自覚して少し辛いと思ったのは誰にも言えない本音だった。

 魔術協会が派遣してきた高位の魔術師はサーヴァントがあちこちにいる光景に最初興奮もしたらしいが、彼女を害そうとすればすぐさまためらいなく切先を向けてくる彼らに危機を感じて自分の捨て駒としている者たちを代わりに置いて殆どがいなくなった。






 少し疲れを覚えてレストスペースに向かった。そこの自販機で炭酸の何かを買おうと思ったのだ。
 サーヴァント戦がなければ自分は凡人、ただの人だ。
 このカルデアにいる限り仕事をしなくてはならない。
 しかし、魔術協会から派遣された者も新しく補充された者もスタッフは優秀で、自分は何もできない。だから、進んで雑務をしているのだが、それでもある程度の知識を必要とするものが多く、勉強をしてはいるが追いつけていない部分もある。
 マシュはダ・ヴィンチの指導の甲斐もあり、優秀なスタッフとしてカルデアの運営を担っている。

 自販機のボタンを押して紙コップに液体が注がれるのを待つ。
 窓の外は相変わらずの銀世界だ。
 ピー、と飲み物の準備ができたという電子音が耳に届き取り出してため息をひとつ。
「コーヒーじゃん」
 無意識に押していたらしい。
 昔というには近すぎる。しかし体感的には随分と昔、このカルデアを支えた一人のスタッフがよく口にしていた飲み物。
 カルデアに来たばかりの時は苦手だったが、付き合って一緒に飲んでいるうちに飲めるようにはなった。未だにミルクと砂糖は必須だが、まあ口にすることはできる。
 ため息を吐き、仕方ないのでこれを口にすることにした。
「まあ!」
 透き通るような涼やかな声が耳に届く。彼女の声は心に響く。重く積もっている澱が少しだけ溶ける。
「散歩?」
 振り返って声を掛ける。やはりそこにいたのはマリー・アントワネットだった。
 微笑みを絶やすことのない彼女を見ると自然とこちらの口元も緩む。
「ええ、そうよ。あなたは休憩? ねえ、それは何?」
「コーヒーだよ」
「コーヒー! それで淹れたのよね?」
『それ』とは自販機の事だろう。淹れたと言われると頷きづらいが、一応『ドリップ』とも書いてあるし、淹れたと言っても過言ではないはずだ。
「うん」
「ねえ、マスター。私、それを飲んでみたいわ」
「いいよ、これでいい?」
 手に持っていた紙コップを渡す。まだ口を付けていない。
「いいの? これはマスターのではなくって?」
「そうだけど。マリーがそれ飲めなかったら続きをわたしが飲むから」
「あら、知ってるわよ。それ、間接キッスというのでしょう?」
 誰が教えた、と心の中でツッコミを入れつつ周囲を見渡す。彼女の親衛隊というか幼馴染というかがいないかと確認したのだ。
 取り敢えず、いないようだ。
「ねえ、マスター」
「なに?」
「間接キッス、お願い」
 つまり、口に合わなかったらしい。普段紅茶を飲んでいる彼女には合わないのではないかと思ったが、そのとおりだったようだ。
「うん、あと。『間接キッス』っていちいち言わないで」
「照れなくてもいいのよ。お友達の印って聞いたわよ」
 誰に、と再度心の中でツッコミを入れる。
「じゃあ、わたしは行くね」
 そういって背を向けた彼女をマリーははしっと掴む。
「ねえマスター、あなた泣けた?」
 問われた彼女の眸が揺れる。
 泣いている暇などない。足を止めて泣いてしまえばもう歩けない。走れなくなる。
 それが怖くて彼女は泣けない。
 マリーに微笑みを向けて彼女は歩き出そうとしたが腕を掴まれたままで歩けない。
「マスター。休憩時間延長よ」
「は?」
 そもそも今は休憩時間でもない。
「マリー?」
「行くわよ」
 強引に、引きずられるように彼女はマリーに付いていくしかなかった。
 途中、スタッフが彼女とマリーを目撃したが見なかったことにしたように視線を外した。
 彼女は時々仕事中でもサーヴァントに捕まって引きずられている。本来、仕事中に遊ぶなど、と目くじらを立てるべきかもしれないが、誰もサーヴァントに逆らおうとは思わないので、彼女が仕事に戻って来なくても文句は口にしない。
 口にした文句がサーヴァント本人の耳に入ったらどんな目に遭うか、という気持ちがあるらしい。


「アマデウス」
 向かったのはアマデウスの部屋で、マリーはノックをすることなく扉を開けた。
「ノックくらいしたらどうかな?」
 当然の小言だが、「私の足音が聞こえていたでしょう?」と返すマリーはさすがだ。
 短く嘆息を吐いてアマデウスは「それで、マリア。用件は何だい」と問うた。
「ピアノを弾いてちょうだい。泣きたくなるような、優しい音色のピアノよ」
「待って、マリー」
「あら。オーディエンスは大人しく音色に耳を傾けるのがマナーよ」
 マリーは彼女の手を引いてソファに腰を下ろした。

 アマデウスの演奏はマリーのリクエストどおりの音だった。
「駄目だよ、マリー」
 俯いてか弱く彼女が呟く。
「どうして?」
「泣いてしまったら、蹲ってしまってもう立ち上がれない」
「だったら私はあなたの側でいっしょに蹲るわ。あなたが立ちたいと言ったら手を引いてあげる。歩くなら手を繋ぎましょう。走るときは私も本気で走るわ。速くても驚かないでね」
 そしてマリーはゆっくりと彼女を抱きしめる。
 愛おしむような抱擁と優しい声音は張りつめた糸を解いていく。
 彼女は声を上げて泣く。
 寂しい。辛い。悲しい。怖い。
 彼女が泣きじゃくっている間も部屋の中には優しいピアノの音色が流れ続けていた。

 
 暫く泣き続けた彼女は、ふいに正気に戻り、そしてマリーの腕から逃れてずるずるとソファから降りて丸くなり、頭を抱える。
「マスター?」
「あの、えっと……」
 恥ずかしい。こんなに思い切って泣くことなど、子供の頃にあったかどうか。あったんだろう、でも覚えていないものはノーカンだ。
「どうしたの、マスター。どこか調子が悪いのかしら?」
 心底心配されてそれはそれでばつが悪い。
「ははは」と笑い声が聞こえてマリーはそちらに視線を向けた。
「アマデウス?」
「マスターはね、きっと恥ずかしいんだよマリア」
「まあ、どうして?」
「マスターは自分を子供だと思っていないからだよ。子供ではない自分があんな恥も外聞もなく思い切り泣きじゃくったんだ。恥ずかしさで穴に入りたいはずだよ」
 アマデウスの言葉にマリーは首を傾げ、「恥ずかしいことなんてないのに」と呟く。
 そして、ぽんと手を叩き、「少し待ってて。私、いいこと思いついたの」と部屋を出て行った。


 残された彼女はアマデウスと二人きりでどうしたらいいかわからない。普段からあまり会話をしたことがないのだ。
 ふいにピアノの音が止まった。
 マリーが居なくなったため、音が必要なくなった。だから彼が手を止めたのだと思った。
 しかし、ピアノの前から離れた彼は濡らしたタオルを持ってきて「これで目元を冷やすと少しは腫れも引くと思うよ」とそれを彼女に渡す。
「ありがとう」
「マリアはね、本当は還ろうとしていたんだよ」
 彼女は瞠目した。
 いの一番に残ると言ってくれたマリーは、本当は還りたかったというのだ。
「どうして……」
「ずっと気にはなっていたみたいなんだよ。「マスターは、ちゃんと泣いているかしら」って僕は何度も彼女の呟きを聞いた」
「……わたしの、せい」
「そうじゃない。マリアがあの時言った言葉は彼女の本心だ。君と友達だから、友達として助けたいから残った。これは、マリアの意思だ。君が勝手に責任を感じるのは彼女に失礼というものさ」
 そういって彼はまた音を紡ぎ始める。先ほどのような優しい音ではなく、どこか明るい楽しい曲だ。
「これ、なんて曲?」
「即興だよ。タイトルなんてない」
「楽しい曲ね」
「子供が喜びそうな曲だろう?」
 彼の言葉に「ぐう」と唸ったところで部屋のドアが開いた。
「まあ、なに? なんだか楽しそう。私たちも仲間に入れて」
『たち』?
 マリーの後ろに控えている人物を見てアマデウスは少し不機嫌になる。
「ここでアマデウスのピアノを聴きながらマスターとお茶をしたいと思ったのよ。途中でサンソンに会ったのだけど、ティーセットを持ってくれるというからお願いしたの。ねえ、マスター。サンソンも一緒にお茶しても良いかしら?」
「わたしは構わないよ。でも、部屋の主は……」
 彼女が振り返るとアマデウスが「マリアがそうしたいのなら」と溜息を吐くと共に頷いた。

「ねえ、マスター。また一緒にお茶会しましょう。私、女子会というのにも興味があるわ。今度は女の子だけでおしゃべりしましょう」
「いいね」と頷いた彼女の笑顔にマリーの瞳は輝いた。







桜風
17.6.7初出
(19.9.15再掲)