さよならの代わりに
すれ違うカルデアスタッフに声を掛けては礼を言うということを繰り返していたベディヴィエールは、やっと目的地、目的の人を見つけた。
「マスター」
廊下の窓際に腰かけていた彼女は窓の外を眺めていた。
「ベディ」
振り返って彼女は彼の名を呼ぶ。
その声音にベディヴィエールはほっと息を吐いて彼女に向かって足を進めた。
「聞けば皆マスターから言葉を賜っていたというのに、私にはないので、ご不興でも買ったのかと……」
「焦った?」
問われて彼は「とても」と頷く。
ベディヴィエールの反応にふふふと少しだけ満足そうに笑った彼女に「酷いお方ですね」と彼は拗ねる。
そんな様子に彼女は再び目を細める。
「相変わらずの外の景色ですね」
先ほどまで彼女が眺めていた先に視線を向けてベディヴィエールが呟く。
「ベディと会ったのは砂嵐の中だったけどね」
「そうでしたね」
素直に頷いたベディヴィエールを彼女は不思議そうに見上げた。
「ずっと隠しているものだと思ってた」
「殊更吹聴するほどの事ではないと思っていただけです」
「早く言ってくれれば良かったのに。そしたら、もっとたくさんお話できた。それとも、あまり話したくないものだった?」
「いいえ。ですが、あなたに出逢う前の話はきっとつまらないし、正直記憶が曖昧で語ってほしいとねだられてもお応えすることはできなかったでしょう。モノクロで、輪郭がぼやけている過去。ですが、あなたに出逢って、共に旅をして少しずつ人としての感覚を思い出しました。世界に色があること。太陽は輝き、風がそよぎ、雲が流れ、人々は笑い、涙を流し、そして再び立ち上がる。私は唯一つの目的のために世界を旅していつの間にか人の感覚を忘れていました。いえ、人であることを保てなかったというべきでしょうか」
「ベディは会ったときからちゃんと人間だったよ。困ってたわたしたちを助けてくれたじゃない」
彼女のことばに彼は俯く。
「いいえ。私が最初にマスターたちを助けたのは唯の気まぐれです。そして、二度目はあなた方の勇気に私は忘れてはいけなかった騎士の矜持を思い出すことが出来たのです。あなたにあの時出逢っていなければ、私は騎士でもなければ人でもありませんでした」
「ベディは真面目だな」
彼女は苦笑する。
「そこが良いとあなたに言われたことがありますが?」
「だがそこが良い」
指摘されて付け加える。
「マスター、お尋ねしても?」
「何?」
「どうして私に声を掛けてくださらなかったのですか?」
「探してほしかったから」
「甘えん坊さんですね」
「良いじゃない、今日くらい」
「いいえ。どうして今まで甘えん坊だと言ってくださらなかったのですか。そうすればもっとあなたを甘やかすことができたのに」
「殊更吹聴するほどの事ではないと思ったので」
先ほどベディヴィエールが口にした言葉を返す。
「確かに吹聴しなくてもいいことですが、私には申告してください」
不満そうに返すベディヴィエールに「わたしは甘えん坊です」とマスターが返す。
「もう」と溜息を吐いたベディヴィエールは彼女に歩み寄り、頬を撫でた。
彼女もベディヴィエールの手にすり寄るように頬を寄せる。
「猫みたいですね」
「にゃあ」と鳴いた彼女は愉快そうにクスクスと笑った。
見下ろしたマスターはやはり小さく、彼女の身体にはいくつもの痕が残っている。
ドクターが気を遣って痕が残らないようにと治療を施したと聞いているが、それが追いつかないくらい彼女は戦いの日々に身を置いていた。
聞けば魔術師の家系ではなく、ひょんなことからカルデアに来ることになって、赴任したその日に人類の未来を賭けた戦いに挑まなくてはならなくなったとか。
「どうして自分が」と思ったことはあるだろう。
愚痴でも弱音でも聴く用意はできていた。だが、聴きだそうとは思わなかった
弱音を吐けば折れてしまうかもしれない。折れてしまえば命を失う。
明日カルデアの機能が凍結され、彼女はマスターとしての任を解される。「後始末があるからもう少しここに残るけどね」と笑った彼女にはどこか諦念の色が見えた。
年頃の娘として人並みの幸せを得ることは叶わない。聡い彼女はそれを理解しているのだろう。
「立香」
顔をあげた彼女は俄かに驚いたようで「どうしたの?」と小さく問う。
「いえ、お名前を口にしたことがなかったと思って」
「……そうね」
彼女は俯き「ベディヴィエール」と名を呼ぶ。
「立香」
返事の代わりに名を呼んだ。
ふふふと笑った彼女の声はどこか満たされたように聴こえ、ベディヴィエールは瞑目する。
彼女の頬に添えていた手をするりと放した彼はそのまま胸に手を当て軽く頭を下げた。
「それでは、マスター。私はこれにて」
「うん、今までありがとう」
「私の方こそ、あなたに逢えたことが何よりの幸福でした。それでは、また」
以前彼女は「さよならは寂しいから「またね」って挨拶することにしてるんだ」と言っていた。だから、今回、二度と会えないであろうが、それを知ってもなお、彼は「また」と告げる。
「うん、またね」
彼女に背を向け歩き出す。廊下を曲がる際、ちらと振り返ると窓の外を眺めている彼女の瞳が濡れていた。
思わずそのまま駆け出しそうになって、ぐっとこらえる。
ここで戻ってどうするというのだ。留まる事が出来ず、人ではない自分が彼女に寄り添い続けることは不可能だ。
「どうか、お幸せに」
叶うことが難しいと知りながら祈らずにはいられなかった。
桜風
18.3.4初出
(19.9.15再掲)