寝言で相手の名前を呟いてるベディぐだ♀
「立香」とふいに彼が呼んだ。
それは無意識で、だからこそ性質が悪い。
「ズルいなー……」
半眼になって彼に視線を向けた彼女は、それでも気を取り直したように微笑み、「はい」と返事をした。
「マスター」
呼ばれて立香は振り返る。
「どうしたの?」
少し早足で近づいてくるベディヴィエールのために足を止めて彼女は声をかける。
「あ、いえ。特に用事というわけでは。マスターはどちらに?」
「特に用事というわけでは」と彼女は笑いながら返す。
「そうですか」と返したものの、次はどのような言葉が適切かとベディヴィエールは悩む。
彼女の姿が目に入ったから声をかけた。特に用事はなくとも、彼女に用事があればそれに付き合おうと思っていたのだ。
しかし、彼女も特に目的があって歩いていたわけではないらしい。
だとすれば……
仕方ない、とベディヴィエールは彼女の前を辞そうとしたが「じゃあ」と彼女が口を開く。
「はい」
「今思いついたから付き合って」と笑いながら言う彼女に「喜んで」とベディヴィエールは頷いた。
立香は自動販売機でドリップコーヒーをふたつ購入して温室に足を向ける。
「お持ちしましょう」
「ひとつはベディヴィエールの分だよ」と立香はひとつだけ彼に渡す。
「私にですか?」
「だって、ひとりで飲むのも気が引けるっていうか……付き合ってくれるんでしょう?」
少し眉をあげたベディヴィエールは一拍置いて微笑み、「喜んで」と言葉を繰り返す。
温室のベンチに腰を下ろした立香に倣ってベディヴィエールも隣に座った。
購入した時には熱かったコーヒーも随分と飲み頃となった。
紙コップを包み込むように両手で持って口に運ぶ立香の仕草に視線を向けていると「どうかした?」とそれに気づいて問い返される。
「あ、いえ。もう熱くないだろうと思いまして」
「あー、冷めちゃったよね。それも飲もうか?」
「いえ、そうではなく」
立香は熱い飲み物をもむときにそんな仕草をするのだ。だから、彼女のはまだ熱いのかと思い、もし必要なら自分のものと交換してはどうかと思ったのだ。
ベディヴィエールが説明すると立香は「そうなの?」と目を丸くした。
「ええ。ご自覚がなかったんですね」
「うん。でも、言われてみたらそうかも……あ、コーヒーはベディヴィエールのと同じく飲み頃だよ」
「それならば、私も頂きましょう」
頷いたベディヴィエールが紙コップに口を付ける。
「それで、マスターはこちらにどのようなご用事で?」
「ベディヴィエールとコーヒーをゆっくり飲む、という用事」
「私と、ですか?」
「そう。ベディヴィエールと」
「これは……光栄です」
何と答えるのが正解だろうか。ほかのサーヴァントともこのように過ごしているのだろうか。
悶々と悩みながら、しかしその様子を表情に出すことなくベディヴィエールはこの時間を過ごす。
「ベディヴィエールはさ、第六特異点の、イスラエルの、キャメロットの記憶はあるんだよね?」
ほぼ断定する形で問われて彼は答えに窮した。
こちらも何が正解かわからない。
あの時のことを自分が覚えていると都合が悪いこともきっとたくさんある。友人を傷つけるかもしれない。
「あ、いえ……えっと」
「ベディヴィエールは優しいね」
歯切れの悪い彼の言葉に立香は頷いてコーヒーを一口。
これで話はおしまいとなったのだろうか、と少し警戒しながらベディヴィエールもコーヒーを口にした。
そして、ふと思い出した。あの村で束の間の休息を過ごした時、立香と並んでコーヒーを飲んだ。コーヒーと呼べるような上等なものではなかったが、出会って間もない彼女は『助ける』ということを躊躇することのない、騎士よりも勇敢で優しい少女だった。それは、もちろん今も変わることなく、自分にとっても誇りだ。こんな強く優しい少女を主と仰ぐことができる。
「あの……」
「ん?」
「いつかも、こうして並んでコーヒーを飲んだことがありましたね」
もしかしたらこの話がしたかったのかもしれないと思い、ベディヴィエールは自ら話を振ってみた。
「うん。なんだ、覚えてるじゃん」
からかうように言われて「申し訳ありません」と彼は頭を下げる。
「そのあと、ベディヴィエールってば居眠りしちゃったんだよ」
「え?」
これは記憶にない。
「まあ、本当にちょっと。『居眠り』だけどね」
「そうでしたか……」
戦闘続きで身体はもちろん気が休まることがなかった。だから、居眠りをしてもおかしくなかったかもしれない。何せ、あの時はまだサーヴァントではなく人間だったのだから。休息は必要だ。
「ねえ、ベディヴィエール」
「はい」
「名前で呼んでみて」
「お名前、ですか?」
さて、敬称をどうするべきか、と悩む。
『マスター』や『王』ならば敬称を付けなくてもおかしくないが、名前となると、何が適切だろうか。
「駄目?」
「いえ、駄目というわけでは……では」と咳払いをして「立香殿」と口にしてみて違和感を覚える。
遠いな、と。
「殿は無しで」
「立香、さん?」
「もう一声!」
値切られている。
「立香……で、よろしいのでしょうか?」
「よろしいのです。では、はい本番」
今までのはリハーサルだったようだ。
もう一度小さく咳払いをして「立香」と口にした。
視線の先の彼女は満足そうに目を細める。
その表情に居心地の悪さを覚えたベディヴィエールは思わず視線を外した。
「これ、二回目なんだよ」
『これ』が何を指すのか少し悩み「どういうことでしょう?」とベディヴィエールは素直に尋ねた。
「ベディヴィエールがわたしの名前を呼んだの」
「マスターの名前をお呼びしたのが、二回目?」
全く記憶にない。
「まあ、最初はノーカンか」
「あの、それはいつのことですか?」
「さっきの居眠りの時」
ベディヴィエールは言葉を失う。
あの時のこと、心情は覚えている。
騎士よりも騎士らしい彼女を好ましいと思っていた。だが、自分には使命があり、彼女の話を聞く限り近く別れることになる。自分の使命を果たした時が、彼女との別れで。それはつまり必ず訪れる未来だったのだ。
何より、こちらは使命を全うするために1500年も彷徨っていたのだ。
色々と考えながら「あれ?」と引っかかることがある。
好ましいと思っていた。それは間違いない。では、なぜ1500年とか別れとかそういうことが並ぶのだろうか。
「……ベディヴィエール?」
ものすごく難しいことを考えている表情の彼に立香は控えめに声をかけた。
「マスター」
「はい」
「私もマスターにお願いしてみても?」
「うん……わたしにできることなら」
「名前で呼んでください」
立香は首を傾げる。もう呼んでいる。
「あ、失礼しました。名前、というよりも愛称で」
「愛称?」
「ベディ、と」
「敬称略で良いかな?」
「ぜひ」
立香は先ほどのベディヴィエールのように小さく咳払いをして「ベディ」と彼を呼ぶ。
「ああ、なるほど」
返事は何かに納得した様子の一言だった。
「どうかした?」
「いえ、はい」
どっちだろう、と立香は再度首を傾げる。
「どうしたの?」
「マスター、お願いがあります」
「はい」
「どうか、これからもベディとお呼びいただけますか?」
「別に、構わないけど……」
躊躇いがちに立香が頷くと、ベディヴィエールは「ありがとうございます」と微笑んだ。
桜風
18.12.30初出
(19.9.15再掲)