あまくてにがい 3
学校帰りに軍人が視界に入る。
これぞ軍人と絵にかいたような筋骨隆々、屈強そうな男が二人。
やはり、城ケ崎は――本人に失礼かもしれないが――軍人らしくないと思った。
そういえば、昨晩城ケ崎を連れて帰ってくれた鳥居もあまりムキムキな印象はなかった。
ふと軍人と目があった。反射で逸らしてしまう。元々じっと人を眺めるなど失礼な話だ。
「なんだ?」
「お嬢さん、何か用か?」
「あ、いえ。何でもありません」
その場を去ろうとすると進路先を塞がれた。
「こちらを見ていただろう?」
「軍曹、この娘はこう見えて敵国のスパイかもしれません」
「……なるほど? では、少し調べねばならんな」
腕を掴まれそうになった。怖い、と足がすくむ。
しかし、その男は立香の腕を掴むことができなかった。立香が別の誰かにぐいと引き寄せられ、空振りに終わったのだ。
「やめておけ。この娘は城ケ崎少将と縁がある」
少し低く、重い声。
「中佐?!」
「私は忠告した。さて、お前たちはどうする?」
「失礼しました」
敬礼をして男たちは去っていった。
「また会いましたね、お嬢さん」
体を離して彼が言う。柔らかい声音だ。先ほどの重いものとは違う。
「ありがとうございました。え、と。鳥居中佐さん?」
「鳥居で構いません。あなたは軍属ではないでしょう?」
立香は頷き、改めて礼を口にした。
「いいえ、ご無事で何よりですよ。ところで、少しお尋ねしてもよろしいですか?」
「はい」
「お嬢さんが、藤丸先生のご息女と伺ったのですが……」
「あ、はい。そうです。わたし、自己紹介していませんでしたね。藤丸立香です」
「先日お亡くなりになったと少将から伺いました」
「はい」
「今度お墓に手を合わせたいと思いますので、お付き合いいただけますか?」
不思議そうに鳥居を見上げる立香に彼は微笑む。
「何も、城ケ崎少将だけが先生にお世話になったわけではありませんよ」
家にいた父の事しか知らない立香には不思議なことだった。
ふと、鳥居が時計を確認する。
「失礼。送って差し上げたいのですが、これから約束がありまして。いい酒が手に入ったので馴染みの芸妓に声を掛けているのです」
彼の手には洋酒の瓶があった。高そうだが、どうして風呂敷などに包んでいないのだろうか。そういうものなのだろうかと思いながら眺めていると「貰いものです」と彼が言う。
「今日、ちょっとした礼にもらったのですが、気の利かない男でね。包むとか考えなかったようです。本当、ズボラで」
「はぁ……」と立香が曖昧に頷く。
「せっかくだからベディヴィエールもどうかと誘ってみたのですが、最近は本当に付き合いが悪くて。昔は五回に一回くらいは私の誘いに応じて歓楽街に足を運んでくれていたというのに、ここ最近は全敗です」
ふふふと笑う。
「それでは、立香さん。お気をつけて」
「はい。……いってらっしゃい」
立香の言葉に噴出した鳥居は「行ってきます」と返してその場から離れて行った。
帰宅するとちょうど城ケ崎も帰宅したところのようだ。
「おや、今日は遅いですね」
「友達とおしゃべりしてたらこんな時間になりました」
「お友達との交流は大切ですが、あまり遅くなると心配しますからね」
「はい。あ、そういえば」
先ほどの出来事を立香が話す。鳥居に助けてもらえた話だ。
「……立香さん、その男たちは所属などは口にしませんでしたか?」
「いいえ」
ちょっと怖い城ケ崎だ。
「そういえば、鳥居様が最近の城ケ崎様「ベディ、と。建物の中ではありませんが、ここはもう屋敷ですよ」
唇に手を当てて言葉を遮られた。
「はい。えっと、鳥居様が最近のベディさんは付き合いが悪いっておっしゃってましたよ。昔は一緒に歓楽街で遊んでたのにって。ベディさんにも馴染みの芸妓さんとかいらっしゃるんじゃないですか?」
「そういうのは作りませんでしたから。というか、若気の至りですね。あの男はまだ遊び足りないということなのでしょうが」
「若気って、ベディさんはまだお若いでしょう?」
「おや、そう言っていただけると嬉しいですね。来年で三十路に突入というのに」
「……は?」
ぽかんと口をあけたままの立香に城ケ崎は首を傾げた。
「言ってませんでしたか?」
「初耳です」
「では、立香さんは私をいくつだと思っていたんですか?」
「二十五歳くらい、ですか。異国の方はこの国の人に比べて大人に見えると聞いた事があるので、見た目は二十七歳くらいかと……」
「なるほど。確かに、私は童顔なんですよね。どうでしょう、髭を蓄えてみましょうか。少しは威厳が出るかもしれません」
「似合わないと思います」
「そうでしょうか」
「お二人とも、お帰りなら早く家に入ってください。寒いでしょう」
邸の中から千恵が出てきて声を掛けてきた。
「はい」
「ええ。ああ、本当ですね。立香さんの手は随分と冷えてますね」
照れも躊躇いもなく彼が手を取った。
驚きはしたが、立香は嫌だと思わなかった。さっきの男たちは怖いと思ったのに。
「何ですか?」
視線を感じて見上げると城ケ崎がにこりと微笑む。
「いえ、何でもありません」
「何かありましたらご遠慮なくお話しくださいね」
どこか機嫌のよさそうな城ケ崎はそう告げて立香の手を取ったまま少しだけゆっくり歩いた。
「鳥居中佐」
呼ばれて足を止めると城ケ崎が足早に近づいてくる。
「どうしました?」
「昨日立香さんに絡んだ者たちの所属と名を」
「言うとお思いで? そのために止めたというのに」
「念のために尋ねただけです。助かりました、ありがとうございます」
「いいえ。あの方は、少し好奇心が旺盛なのかもしれませんね」
「どういう?」
「熱心に彼らの事を見ていたから目を付けられたようですよ」
「あまり不躾に人の事を見る方ではないのですが……」
「では、好みだったとか」
「その男たちの所属と名を」
「余裕がありませんね」
軽く睨み付けた城ケ崎が「そうだ」と改めて鳥居を睨む。
「どうしました?」
「立香さんにろくでもないことを吹きこまないでください」
「ろくでもないこと?」
「あなたに付き合って歓楽街に行っていたことです。馴染みの芸妓がいるのではないかと心配されてしまいましたよ」
「ああ、昨日会いましたが寂しがっていましたよ?」
半眼になって睨む城ケ崎に「はは」とその視線を軽く流した鳥居は「それでは」とその場を去っていった。
◇◆
色づいた山が少しずつ寂しくなっていく。
紅葉狩りに誘った際には立香はとても喜んで山を散策した。意外と足腰がしっかりしているようで、感心してしまった。
疲れたと言われれば背負うことも辞さないつもりで、むしろ少しだけ期待して誘ったのだが、その点については空振りに終わってしまい少しだけ残念にも思った。
ドアをノックする音が聞こえて「どうぞ」と返すと立香が顔を覗かせてきた。
「お茶が入りましたが、お持ちしましょうか?」
「はい。あ、いいえ。行きます。今日は何を作ってくださったのですか? 良い匂いです」
ベッドに腰掛けて眺めていたものを脇に置いた。
「今日は初めましての新作ですよ」
城ケ崎の問いに応えながらも不思議そうに、興味があるように城ケ崎が脇に置いたそれを眺めている彼女の視線に気づき、「見ますか?」と声を掛けてみた。
「あ、いえ。難しい御本でも読んでいらしたのかなと思って。お邪魔してしまったかなって」
「いいえ、邪魔だなどと。それに、これは難しい本でもありませんよ」
城ケ崎が手招きすると彼女は部屋に入り、側に寄ってきた。隣に座るように促す。
「アルバムです」
「あるばむ?」
「写真を挟んでまとめている物ですよ。ほら」
「写真?」
渡された本を開き、立香は目を丸くした。
「こんなに……」
「両親がこういうものが好きでしたので。立香さんは写真を撮ったことは?」
「女学校入学の際に、父が奮発して」
気恥ずかしそうに笑う。
「それは今どこに?」
「それが、父が持っていたと思ったのですが遺品整理の際にも見つからなかったので失くしてしまったのではないかと。片付けが苦手でしたので」
「それはもったいない」
本当に心から、と思いながら頁をめくる彼女の手元に視線を向けているとその手が止まる。
「これって」
城ケ崎を見上げてきた立香の瞳には好奇の色が浮かんでいる。
「……私です。この家に引き取られて間もないころですね」
「とてもかわいらしい、……お嬢さんですね」
「母は女の子が欲しかったらしく、可愛らしい洋服を見かけて思わず何着が購入してしまったことがあったとかで。せっかくなので、と着せられました。着せられたときは、いまいち事態が呑み込めませんでしたが、成長するにつれて何と言いますか……」
「でも、写真を捨てることはしなかったんですね?」
嫌なら捨てることも出来ただろう。
「母が大切にしていましたので。誰かに見せることはないだろうと思っていましたし。どうか、この写真の事は内緒にしておいてくださいね」
「はい」と笑いながら頷いた立香がまた頁をめくる。
「これは?」
「士官学校に入学する際のですね」
「隣にいらっしゃるのは鳥居様ですか?」
「ええ」と城ケ崎は頷いた。
少し緊張した面持ちの城ケ崎に対してどこかリラックスした表情の鳥居は何となく見ていてバランスが良い。
「彼は、私が初めてこの国の言葉を交わした同世代ですね。上手く言葉が紡げない私に根気強く付き合ってくださったことには感謝していますが、今となっては悪友です。いい年して未だに落ち着きもなく、困った人です」
何枚か頁をめくると正装した城ケ崎の写真がある。軍服とは違う正装だ。
「これは?」
「私が爵位を継いだ時の物ですね。私は、二十五で爵位を継ぎました。本当はもっと遅く、今頃の年で継ぐものだろうと思っていたのですが、母が胸を患い療養のために田舎に行くことになったのです。父は付き添いを強く希望し、そのため、私が急きょこの家を継ぐことになりました。伯爵家当主ともなれば、長期間家を空けるわけにはいかないので。母は間もなく亡くなり、父も母が亡くなって一年もしないうちに後を追うように亡くなりました」
「寂しかったですね」
「いえ。以前も話したかもしれませんが、千恵さんと徳三さんが居てくださったので。立香さんの方こそ、お母様を亡くされて、先生が家に戻られるまでおひとりで寂しかったのでは?」
「ご近所さんがなにかと世話を焼いてくれましたので、あまりそういった記憶はありません。母の事はあまり覚えていないのですが、どうやら美人だったらしいです。「立香ちゃん、お母さん似だったら良かったのにね」と何度言われたことか」
はははと少しやけ気味に笑う。余程美人だったのだろう。
「立香さんは可憐ですからね。美人と表現するには少し違うのかもしれません」
また何かすごいことを言われてしまった、と立香は固まる。
(この人はちゃんと言葉を考えて口にしているのだろうか)
反射で出てきているなら尚悪いが。
「どうかしましたか?」
「い、いいえ……」
リアクションに困った立香は誤魔化すようにアルバムのページをめくったが、彼の両親の写真が無くなった後は殆どなかった。
ドアがノックされた。
「はい」と城ケ崎が応じると、「立香さんがどんな遠くまで坊ちゃんを探しに行ったのかと思いました」と千恵が顔を覗かせる。
「あ、」と立香が呟き「そういえば」と城ケ崎も頷いた。
「お茶が冷めてしまいましたよ」
「ごめんなさい」
「今行きます」
「それで、お二人は何をしていらっしゃったのですか」
お茶を淹れ直している千恵が問う。
「アルバムをお見せしていたんですよ」
「アルバム。ああ、奥様の。ベディ坊ちゃんの可愛らしいお姿はご覧になりましたか?」
「はい」
「千恵さん……」
「あの可愛らしかった坊ちゃんが今ではこんなに成長して。これじゃあもう女の子に間違われることなんてないでしょうに」
「褒め言葉として受け取っておきます」
澄ました顔で城ケ崎が返す。
「立香さんはお写真は撮ったことありますか?」
先ほど部屋で城ケ崎に返した言葉を繰り返した。
「あら、勿体ない」
「そうだ、立香さん。正月に写真を撮りませんか? 両親が生きていた時には毎年正月に写真を撮っていたのですが、当分撮っていないんです。良かったらお付き合いいただけませんか?」
そんな風に言われると無碍に断ることもできず、立香は頷いた。
「では、振袖を新調しましょう」
「は?」
「良いですね。呉服屋に連絡をしておきます。坊ちゃん、いつがよろしいでしょうか」
「立香さん、次のおやすみはいつですか?」
問われるままに休みや都合の良さそうな時間を応えると、その時間に呉服屋がやってくる算段となってしまった。
相変わらずこの家は展開が急すぎる。
「お正月、すぐですよ?」
無駄だろうと思った一応言ってみた。
「急いで仕立てて頂かなくてはいけませんね」
城ケ崎が予想どおりの言葉を口にし、立香は肩を落とす。
(お金持ちって……)
未だにこの感覚の差には慣れないものだ。
桜風
18.2.6初出
(19.9.15再掲)