あまくてにがい 4








 年が改まり、正月の行事が終わった。
 行事といっても、伯爵家でありながら大きなことをしないのを信条としているのか、城ケ崎が交流のある家に挨拶に行くだけに留め、立香が知っている普通の正月とさほど変わらなかった。
 ただし、写真館で長時間過ごしたのは初めての経験で、正直疲れた。
 とはいえ、楽しげにしている城ケ崎の表情を写真に収めるという行為はなんというか、とても大切なことのような気がして、彼の気が済むまで弱音を吐かずにとことん付き合った。






 少し早めに目が覚めて台所に向かうと誰の姿もない。
 時間を確認したが、いつも千恵が朝食を作ってくれている時間で、飛び切り早い時間というほどではない。
 今日は休みだったかなと記憶をたどりながらも彼女が来ないのであれば朝食は自分が作ればいいと準備を始める。
「ごめんください」
 門の方から声がした。
 こんな朝早くから誰だろう、と立香は足を運び、そっと窓から覗いてみる。
 うっすらと雪化粧の中、ひとりの青年が立っていた。
「ごめんください」
 白い息を吐きながらもう一度彼は声を掛けてくる。千恵の名を口にしており、その縁者だという。
 以前の夜中のような誰もいない状況ではなく、取り敢えず今は何かあれば全力で城ケ崎の部屋に逃げ込めば何とかなるだろうと思い、立香は玄関を出た。
「おはようございます」
「おはようございます。藤丸様ですか?」
 門の向こうの青年が問う。
「……はい」
 警戒しながら応えると彼はほっと息を吐いた。千恵の縁者で、彼女の遣いで来たというのだ。
「千恵さんに何かあったんですか?」
「実は、ぎっくり腰になったらしく」と彼が話し始めた。
 つまり、ぎっくり腰になり、無理をしてでもこちらに来ようとしていたのだが、そんな体で仕事など無理だからと周囲で全力で止めた。彼女がいつまでも来ないと心配するだろうから、と使いを寄越したということだった。
「わかりました。城ケ崎様にはわたしからお伝えします。千恵さんには、安静にして過ごしてくださいとお伝えください。ぎっくり腰には薬も治療もないですからね」
 立香の言葉に青年は深く頭を下げて雪道を去っていった。
 家に入って朝食の支度の続きを始める。
 早起きしてよかったと思いながら準備をひととおり終え、あとは城ケ崎を起こすだけとなった。
 この家に居候することとなった日、立香は千恵から忠告をもらっていた。
 しかし、今回は彼を起こせる者が自分一人しかない。ならば、仕方ないだろう。
 寝起きに機嫌が悪くなるということは往々にしてあるものだと聞く。機嫌が悪い城ケ崎はきっと怖いだろうが、何とか耐えてみせる。
 気合を入れて立香は城ケ崎の部屋のドアをノックした。


「ごめんください」
 民家の前に立ち、立香は声を掛けていた。
「はい」と中から出てきた男は立香の姿に驚く。
「藤丸立香と申します。徳三さんは御在宅ですか?」
「ああ、少し待ってくださいね」
 頷いた男は家の中に戻っていった。
 間もなく徳三がやってくる。
「おはようございます、立香さん。どうされましたか、こんなところまで」
「朝早くに申し訳ありません」
 立香は頭を下げた。
 そして、今日は千恵が出勤できないこと、城ケ崎はまだ寝ているかもしれないことを徳三に話をする。
「ですから、まだごゆっくりされているかもしれないのですが、城ケ崎様のお世話をお願いしたいのですが、どうでしょう」
「もちろん、坊ちゃまをお世話するのは私の務め。ですが、立香さんは、いつもより随分とお早いですね?」
 指摘されて立香の視線は泳ぎ、「学校の用事で」と返した。
「そうですか。では、坊ちゃまの朝のお仕度は私が賜りました。どうぞお気をつけていってらっしゃいませ」
 立香に何かあったと思いながらもそれを指摘すれば彼女は逃げ場が無くなるだろうと思い、あえて指摘しなかった徳三はとりあえず寝起きの悪い主人を起こすという大役のため、出勤の支度を始めた。

「おはようございます、坊ちゃま」
「おはよう……? 徳三さん?」
「はい、徳三にございます」
「千恵さんは? 立香さんも」
「千恵さんはぎっくり腰だそうです。今朝の朝食は急ごしらえと仰ってましたが、立香さんが作ってくださったそうです」
「その立香さんは?」
 立香の朝食と聞いて、少し弾んだ声を出しながら城ケ崎が問う。
「学校の用事で早くお出になられました。通学途中、ウチの寄って来られて千恵さんが不在であることを教えていただき、坊ちゃまのお世話を仰せつかりました」
「学校の用事、ですか」
 昨晩そういった話は聞いていないと思いながらも、言い忘れたのかもしれないと思い、朝食を摂ることにした。

「ただいま帰りました」
 夕方帰宅すると台所に立香の姿がある。声を掛けると驚いたように振り返った彼女はどうしてか狼狽したような雰囲気を醸している。
「立香さん?」
「いえ、あの。お帰りなさい」
「はい、ただいま帰りました。帰りに千恵さんのお見舞いに行って来ました。腰以外はお元気そうでしたよ」
「それなら一安心ですね」
 どこかよそよそしい彼女の様子に首を傾げながら、城ケ崎はひとまず自室に戻る。
 城ケ崎が帰宅すれば自身も帰宅する徳三は、千恵が居ないためもう少しとどまって城ケ崎の世話をすることにしたらしい。
 夕食の席でも立香の様子に首を傾げる。
「立香さん、何かありましたか?」
 城ケ崎の言葉に彼女は慌てて否定し、「あ、でも」と続けた。
「明日からも朝早く出ます」
「おや、お忙しいのですね」
「……はい、まあ」
 歯切れの悪い返事に違和感をおぼえながらも、学校行事なら仕方ないと城ケ崎は頷いた。

 それからというもの、城ケ崎と立香の生活サイクルが重なる時間が減った。
 朝は朝食を早く済ませて家を出て、帰ってきても部屋に籠るようになった立香とは、千恵が復活してから尚更擦れ違いとなってしまった。
 かといって、今まで食事も睡眠も自分を待たなくていいと言っていたのにこんな状況になったら待つように言うのは格好悪くて言えない。
 夕飯の時間が重なっても食事を終えたら立香は自室に戻る。
「立香さん、少しおしゃべりしませんか」と誘えば「学校の課題があるので」と返され、それ以上追いかけることができない。
 立香が女学校に通うのは彼女の父親の遺志でもあるのだ。課題の提出を忘れたり、落第となっては申し訳が立たない。
 とはいえ、これはあからさまに避けられている。
 そして、城ケ崎はその理由が全く思い浮かばない。
 いつもどおりの生活をしていて彼女の癇に障る何かをしたのだろうか。
 原因がわからなければ対処のしようがない。どうしたものかと城ケ崎は軽く途方に暮れた。







 風呂から出て自室へと向かっていると目の前に影があった。壁に体重をかけて行く手を遮るように立っている城ケ崎だ。
 立香は思わず二歩下がる。
「風呂上りの女性をこうして待ち伏せするのは不躾であり、よくないことなのはわかっています。ですが、あなたが私を避けている以上、確実にお話しできる機会を作らなくてはならないのです」
「避けては……」
「いいえ、避けています。学業が忙しいのはわかりますが、これまでのあなたはさほど部屋に籠っておられませんでした。しかし、ここ最近は課題と言って自室に籠りっぱなし。何より、あなたは私を見ない」
「そんなことは、」
「あります。あなたは話をするときに必ず人の目を見る。それは私でなくとも他の人、誰でもです。ですが、ここ最近あなたに声を掛けてもずっと瞳をそらされているのです。なぜですか?」
 俯いた立香の頭上で溜息が聞こえる。不機嫌さを隠す様子のないそれに彼女の肩が震えた。
 ふっと影が無くなった。呆れた城ケ崎が居なくなったのだろうかと思っていたら膝をついた城ケ崎が顔を覗いてくる。
「教えてください、立香さん。私はあなたに失望されるようなことをしましたか?」
「失望なんて……」
「では、どうして? 陽だまりのようなあなたの笑顔を見られないのは辛いです」
 思わず怯んだ立香の手を取る。
「立香さん」
 促され、立香は覚悟を決めた。
「先日、千恵さんがお休みになった日を覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、雪の日ですね。あなたが朝早く家を出るようになったのはその日からです」
 立香は頷いた。
「あの日、実はわたし、城ケ崎様を起こそうとお部屋に入りました」
「ベディ、と。部屋、ですか? 私は何か失礼なことをしてしまったのでしょうか」
「いえ、あの……寝ぼけていらっしゃったのは重々承知しているのですが」
「もしかして、愛を囁いてしまいましたか?」
 無言で立香が頷く。思い出したのか彼女の顔は風呂上りということを差し引いても真っ赤だ。
「あなたに愛を告白するなら、起き抜けではなくきちんと時と場を用意して正式に告白します」と言いたいがその言葉をぐっと飲みながら城ケ崎は昼間に軍部庁舎内で鳥居と話した内容を思い出した。


◇◆


「は? 立香さんが目を合わせてくれない? あなたが覗き魔だと思い出したのでは?」
「人聞きの悪い。見守っていたというのですよ、あれは」
「父親から出禁を食らうような見守りがありますか」
 ひととおり悪態をつきあって同時に溜息を吐く。
 酒の肴にされるだろうから、とずっと黙っていたが突破口が見つからず結局悪友に相談することにしたのだ。
「それで、それはいつからですか?」
「もう二週間になります」
「まだたったの二週間ではありませんか」
「正気ですか? 二週間ですよ。二週間あの愛らしい笑顔を拝見していないのですよ」
「出禁を食らってどれくらい見ていなかったのかという話もありますけどね。まあ、出禁時代についてはここでは言及しないとして。心当たりは?」
「ありません。私はあの方にあくまでも紳士的に振る舞っています」
「化けの皮がはがれたことがあるのでは? 紳士的に振る舞うと言っても、それは理性のなせるものでしょう? たとえば、酒を飲んで正体をなくした」
「あの方の前では嗜む程度です。そもそも正体をなくすほど飲むような子供でもありません」
「どこかの将軍に言い放ってもらいたい言葉だな」と飲みの席で頻繁に酔っぱらっては周りに迷惑をかけるとある上官を思い浮かべて一言コメントし、「では、寝起きは? あなた、自分の寝起きが最悪なのご存知ないのですか?」と別の心当たりを口にした。
「覚醒までに多少時間がかかるのは自覚しています。しかし、その程度で」
「本気で?」
 どこぞの将軍が迷惑をかける酒の席に同席した際の鳥居の表情が目の前にある。
「何か?」
「あなたの寝起きの悪さの質についてです。覚醒に時間がかかるということだけですか?」
「ええ」と不思議そうに頷く城ケ崎に鳥居は盛大なため息をついた。
「あなた、寝起きには高確率で起こした者を口説くんですよ」
「…………は?」
 たっぷり三秒沈黙して城ケ崎は問い返す。
 鳥居は盛大なため息をついた。
「だから、君は寝起きが最悪だと言っているんだ。誰彼構わず、性別立場関係なく口説くんだよ。それは君が立香さんに出会う前からだ。誰彼構わず口説くもんだから、その気になった上官や同期に君が掘られないよう、私がいつも犠牲になっていたというのに……」
「本当に?」
「信じるかどうかは君の自由だから強制はしないが、「本当だ」と答えておく」
 城ケ崎が蒼褪める。
「まあ、うたたね位なら、その寝起きの悪さは発揮されないと思うが?」
 一応フォローを入れてみると城ケ崎はゆるゆると首を横に振った。
「心当たりが、できました」
 呆然と呟く城ケ崎に「それはよかったな」と鳥居はため息交じりに返した。
「ああ、ついでに。君は背が高い。目も合わせてくれないという状態の立香さんと話をするなら、彼女よりも視線を低くして声を掛けるべきだろうう。膝をついて見上げて話をしたらどうだ? 少しは圧迫感が和らぐだろう」
「助言、感謝します」
「どういたしまして。恋を知らない無垢な子供でもあるまいに、どうしたって君は……」
「恋をしているからですよ」
「ああ、そうですか。ご用事は以上で?」
「ええ。また相談させてください」
「今回のような青臭いのは面倒だから御免こうむります。では」
 上司の遣いの途中だったというのに呼び止められた鳥居は、それでも律儀に話に最後まで付き合ってくれた。
(また何かお礼をしなくては……)
 彼の友情に感謝しつつ、今後どのように彼女に話を切り出すかと別の悩みが始まったのは言うまでもない。



◇◆


「立香さん」
 一瞬彼女の背に緊張が走る。
「冗談のような話なのですが」と城ケ崎は前置きをした。
「どうやら、私は寝起きにかなりの高確率で起こしてくださっている方を口説いてしまうらしいのです」
「は?」
 立香の反応にちょっと怯みながらも城ケ崎は一つ頷いた。
「私の両親はとても仲が良く、母が父を起こすとその……、朝から父は母に愛を囁いていました。この家に来た際、毎日それを見ていたのでそれがこの国の風習なのだろうと思ったのだと思います。幼いながらに慣れようとして、結果、このようなことに。父を起こすのは母の役割でもあったので、父のあの行為に関しては他人に迷惑をかけることがなかったのですが、私はどうも、相手を選ばないと言いますか……。あなたに不快な思いをさせたことをお詫びします」
 深く頭を下げる城ケ崎に「誰にでも?」と立香が問う。
「ええ、誰にでものようです。覚醒までに時間がかかるということもあり全く自覚がないのですが、今日鳥居に聞きました。士官学校時代も起こしてくれていた彼を口説いたことがあったようです」
 頻繁にあったようだが、そこは認めたくない。
「誰にでも……」
「どうか、あなたへの御無礼を許していただけませんか?」
「そういう、こと、なら……」
 立香の赦しを得て城ケ崎は視線を落としてほっと溜息を吐く。何とか彼女が抱いた『誤解』を解くことができた。
 しかし、もしその場に鳥居が居れば城ケ崎は蹴っ飛ばされていたか肘鉄を食らっていただろう。
 この時の彼女の表情を見ていれば事態はまた別の方向に転がっていたかもしれなかったのだ。







桜風
18.2.8初出
(19.9.15再掲)