彼女の事情 ―中編―



年が明けて、木村のチャンピオンカーニバルのポスターが出来上がった。

がジムにそれを貼っている後ろで、鷹村が爆笑している。そんな鷹村の姿に青木は青筋を立て、一歩も怒っている。は苦笑をしながら作業を続けた。


青木がこちらに歩いてくる木村を発見して声を掛ける。木村はと目が合い、微笑む。


「ちぇっ。撮影のとき後ろ姿だったから変だと思ったんだよな。免許皆伝とまではいかなかったが、弟子入り終わって帰って来りゃこれかよ。」

「君、死刑にされちゃうんだよ。こんな事言われて悔しくないの?」

鷹村が楽しそうに木村の背後から言うと、

「結構じゃないですか。ただし、死刑になるのは間柴のほうだけどな!!」

と言うので一歩と青木が歓声を上げる。

「何か作戦でも?」

一歩が聞くと、

「作戦っつうより、必殺技かぁ?」

という答えが返ってきた。

「まあ、名づけて『ドラゴンフィッシュブロー』ってとこかな。まだ完成とまではいかねぇが、後は煮詰めるだけだ。練習相手頼むぜ、青木!一歩!!」

「おう、任せろや。」

「頑張りましょう。鷹村さんもお願いします。」

一歩の言葉に皆の視線が鷹村に集中する。

「龍で魚。魚なだけにギョッとするパンチだったりして。」

「よし。」

「練習だ。」

「頑張りましょう。」

3人は鷹村を無視してジムに入っていった。

も鷹村を力いっぱい無視してジムの中へ入って行った。


青木がリングの上で木村を待っている。

ちゃん。仕事に戻らなくても良いのかい?」

「ええ、まあ。ちょっと。」

は歯切れ悪く答えた。

木村が着替えてジムに入ってきてリングに上がろうとした時、が口を開く。

「あの、ちょっとお時間ください。皆に聞いて頂きたいことがあるのですが。」

「どうしたの、ちゃん。何か改まった言い方して。」

木村はリングに上がるのを止めてに近づく。リングの上の青木もの居るほうへ足を向けた。

「はい。あの、私今月いっぱいでバイトを辞める事になっているんです。」

「え!?何で?」

の言葉を聞いた途端、木村はの肩を掴んで迫った。思わず手に力が入る。グローブをはめているので多少のクッションはあるが、やはり痛い。

しかし、はそれを表に出すことなく、

「実は2月の半ばからバイトが続けられない用事が入っているんです。それで、キリのよい今月末日に辞めようと言う事になりました。」

、2月の半ばと言うと...」

珍しく大人しく聞いていた鷹村が口を開く。は申し訳なさそうに木村を見上げ、

「木村さんの試合の日からなんです。それと、その用事がいつまで掛かるか分からないので、もしかしたら幕之内君の試合も行けない可能性もあるんです。

2人ともごめんなさい。」

一歩は、「いえ」と答え、木村を見る。

木村は眉間に皺を寄せ、俯いてを凝視していた。木村の手の力は緩むどころか、益々強くなっている。それに気付いた青木が慌てて木村に声を掛ける。

「木村、手ぇ離せって!ちゃんの肩が壊れるだろ!?」

木村は我に返り、手を離して謝る。

「大丈夫ですよ、練習の邪魔してすみませんでした。それじゃあ、失礼します。」

は笑顔で答え、仕事のために事務室へ向かって行った。

「おい、木村。気持ち切り替えろ。お前ベルト獲るんだろうが!!」

鷹村が檄を飛ばす。

木村は何とか気持ちを切り替えて、只管練習に励んだ。


バイトの時間が終了したは、帰るために自転車を置いているジムの裏まで行くと、木村が居た。

に気付いた木村は、「お疲れ」と片手を上げて声を掛ける。

は俄かに緊張した。

「お疲れ様です。どうしたんですか?」

「いや、さっきは本当にごめんな?痛かっただろう?

...そういえば、1回川原ジムに差し入れもって来てくれたよな。凄く役に立ったよ、湿布。かなり打たれてたからね。」

早口で落ち着き無く話す木村に、

「木村さん?」

が声を掛ける。

木村は、ばつが悪そうな表情をして、溜息を吐く。がりがりと頭を掻き、真剣な眼差しでの瞳を捉える。

「なあ、用事があるって言ってたけど、日にちずらせないかな。俺、どうしてもちゃんに試合を見てもらいたいんだ。頼むよ。」

木村は深々と頭を下げる。

は怒られる覚悟はしていたが、頭を下げられるとどうしていいか分からない。

「木村さん、頭を上げてください。私...。何とか頑張ってみます。もしかしたら木村さんの試合の間だけでも時間が取れるかもしれません。

絶対に行くって約束は出来ないし、控え室に激励に行くことも出来ないかもしれません。でも、何とかしてみます。

チャンピオンカーニバルもテレビ中継ありますよね。どうしても行けなくても、それは見ます。これは約束します。

だから...本当に頭を上げてください。お願いします。」

それを聞いて木村が頭を上げると、そこには泣きそうな顔をして困っているの姿があった。

今度は木村が慌てる。

「ごめん、ちゃん。ちゃんを困らせたくて言ったんじゃないんだ。ごめんな、我侭を言って。」

木村はを宥めるように、髪を撫でる。


も落ち着き、帰ることとなった。

と久し振りにあった木村は、もう少し一緒に居たかったので家まで送ると申し出たが、に断られた。2人は、各々帰っていった。



木村のチャンピオンカーニバルの日、やはり、は控え室には来なかった。木村は心底残念に思ったが、約束を思い出した。

(どんな形でも、見てくれるって約束したんだ。)

ドアノブの回る音がした。途端に計量の時の間柴の目を思い出し、震えが来た。

控え室に集まった皆に自分の決意を伝える。

「負けたら、引退します。」


「おーおー、空元気出しやがって。」

「意外に地に足が着いていますね。」

そんな会話を鷹村たちがしている時、宮田の肩に掴まり凭れ掛かった人が居た。

「間に、合っ...た。」

息を切らしながら声を出したのは、だった。

さん!」

「よう、。よく来れたな。場所を教えていて正解だったな、解説欲しいだろ?」

「大丈夫か、さん。」

宮田は、中々呼吸の整わないの背中を擦ってやる。

どうやらは、どこで観戦するかを鷹村に聞いていたらしい。鷹村も鷹村で態々分かりやすい場所を選んでやっていたようだ。

は呼吸を整えながら、試合開始のゴングを待った。


試合開始のゴングが鳴った。

6ラウンドまでは間柴の一方的な試合だった。

しかし、7ラウンドで間柴のボディーを叩き、8ラウンド目には、この試合のために取得した、『ドラゴンフィッシュブロー』が間柴にヒットする。

あと一息のところでゴングが鳴り、第9ラウンドを迎える。

木村はベルトを獲るためにコーナーから出る。

左しか使っていなかった間柴も右を使い、木村を本気で倒しにいく。

間柴のガードが下がったとき、3度目の『ドラゴンフィッシュブロー』を打ち込む。

だが、倒れたのは木村の方だった。

「木村さん!」

は思わず木村の名を叫んだ。

ちゃん、来てくれてたのか...)

ダウンして、気を失い静寂の中にいる木村の耳にの声だけが届く。

ふいに、試合前に激励に来てくれるときの笑顔を、瞳を思い出した。

「頑張ってください。」いつも応援してくれる。

(俺は...俺は!)

右と右のカウンター。誰もが決定的なダウンだと思っていた。

しかし、木村は立ち上がり、ファイティングポーズを取る。

試合は再開された。

が、すぐにレフェリーが間柴を止め、間柴の勝利が宣言される。

木村は、立ったまま気絶していたのだ。


「木村さん!」

一歩は控え室へ向かう。

「おい、一歩待て!...、お前は?」

「...私は、すぐに帰らないと。外で父が待っているんです。」

「分かった、じゃあ気を付けて帰れよ。」

そう言って鷹村は一歩を追いかけて行った。

さん。」

目を伏せて険しい表情をしているに声を掛ける。

名前を呼ばれたは、顔を上げて笑顔を作る。

「あーあ、やっぱり悔しいね。あと少しだと思ったんだけどなぁ。でも、本人が一番悔しいんだよね。...さてさて、私は帰るよ。」

そう言っては出口に向かったが、何かを思い出したように顔を上げて振り返る。

「そうそう、宮田君。...頑張ってね。」

あの意志の込められた笑顔を向けられた宮田は、片手を軽く上げて返事をした。



これはOVAのを参考にしました。
『死刑執行』は個人的に感動の名作です。



桜風
05.4.23


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