| 板垣の新人王戦が終わったある日、その日のバイトでは買出しの仕事があった。 は一人でこなそうと思っていたのだが、木村に見つかった。 「ちゃん、買出し?付いて行くよ。」 「大丈夫ですよ、一人で持てます。」 そう断ったが有無を言わせず、木村がの手にあるリストを穏便に(訳:いい笑顔を浮かべながら無言でかなりのプレッシャーを掛けて)見せてもらう。 「よし、俺がついていくこと決定な。」 そう言っての手を引いてジムを出て行った。 買い物が済んで『荷物を持つ』と主張するを宥めたあと、木村が 「ちゃんって甘え下手だよね。」 と溜息混じりで言ってきた。 「そうですかね?弟いますし、それが原因じゃないんですかね?」 「でもお姉ちゃんもいたんじゃないっけ?」 「いますね、一人。姉だけど、妹みたいなのが。」 「姉だけど、妹?」 「結構私に甘えてくるんですよ。勿論、いざという時は姉はやっぱり姉なんですけどね?」 「へぇ...。そうそう。ちゃんの就職祝い、何がいい?」 「何がいいと言われましても。私、物欲ないんですよね。だから、別に何も無くていいですよ?」 「いいや、何かする。そうだ、じゃあご飯食べに行こうか。」 「あー。それなら、はい。お言葉に甘えます。」 「何食べたい?」 「和食がいいですけど、あまり畏まったのは苦手ですね。」 「畏まってないのって......居酒屋、とか?」 「そう、そんな感じ。作法とか色々あると窮屈でしょ?ご飯は楽しく食べないと。」 (居酒屋...ムードねぇな。ま、いいけどさ。) 木村が一応調べてみると言って話は終わった。 数日後、は木村が指定した場所に時間前に着くが、既に木村が来ていた。 「よ、ちゃん。ちょっと早いね。」 「こんばんは。木村さんこそ早いじゃないですか。私はいつも待ち合わせは10分前行動ですから。」 「そうなんだ?それじゃあ、行きますか。でも、本当に居酒屋なんかで良かったの?」 「勿論です。寛いで食べれますから。」 拘りのない子だな、と思いつつ木村はを案内した。 店に行くと席に案内される。 一応ひとつの大きな部屋なのだが、その中でいくつかスペースが区切られていてそれぞれがそれなりの個室と言う空間になっている。 メニューを受け取ってが飲み物の欄を見ていた。 目線の先にはソフトドリンクばかりがあった。 20歳過ぎているのだから社会的に飲めないこともないだろうと思った木村が聞いてみる。 「ちゃんってお酒飲めないの?」 「そうですね、強くないみたいです。1回飲んだことあるんですけど、木村さんも知ってるちゃんとに『もう外でお酒は飲むな!』ときつく言われたんですよね。私自身そのときの記憶がきれいになくなっているので、飲まないようにしてますよ。木村さんは飲めるんですよね?」 「まあ、それなりにね。お酒飲まない人の前では飲まないようにしてるけど。」 「私のことなら気にしなくてもいいですよ?」 「いや、いいよ。今日はやめとく。」 そのまま一通り注文を済ませた。 「ごめん、ちょっと席外すね。」 「どうぞ。」 食事の途中、木村が席を立った。 再び席に戻ってみると、何となくの様子が変だ。やけにテンションが高そうだ。 声を掛けずに様子を窺っていると、が木村に気付いて自分の隣をポンポンと叩く。 『隣に座れ』ということなのかと思った木村が座ると突然が抱きついてきた。 「ちょっ、ちゃん?!」 全くの予想外な展開に木村は慌てつつも思考が停止する。 はそんな木村の様子を意に介すことなくきつく木村を抱きしめて、おまけに「大好き」とまで言っている。 平常心が去っていく寸前、木村はこの席の違和感を感じた。 アルコールの匂いがする。 自分ももアルコール類は頼んでいない。ここにそんな物があるはず無いのだが...。 木村はの目の前においてあるグラスを取って匂いを嗅いでみると、何故かアルコールの匂いがする。 その時、遠くで「すみません、カシスオレンジ頼んだのにオレンジジュースなんですけど」とこのの状態を説明するに十分な声が聞こえた。 店員はオレンジジュースを頼んだはずのに間違えてカシスオレンジを渡してしまったのだ。 (そういや、さっきまで食ってたの少し辛いって言ってたな。) おそらく水分を欲していたので匂いは気にせずに一気に飲んでしまったのだろう。 (しかし、それにしたって。こんなジュースみたいなのをグラス半分飲んだだけでこれって、かなり酒に弱いんだなぁ。というか、これは俺的に結構キツイ展開なんだけど...。ちゃんの酔いってどれくらいで醒めるんだ?) そう考えていたが、とにかく店を出ようと思い立った。 「ちゃん、帰ろう。」 「はぁい。」 陽気にそう答えるが、コートを着たは再び木村にくっついた。 (なんかこれって、バカップルがイチャついてるっていうよりも、子供が親にくっついてるだけのように感じるのは俺だけか?) そうは言っても、自分の好きな子に抱きつかれてさらに先ほどは「大好き」のオプションまで付いた。普通は平常心なんて保てない。 レジで支払いを済ませて店を後にする。 (あー、俺ボクサーでよかった。しかし、このままの状態のちゃんを俺が送り届けるのはどう考えても得策じゃないよな。どうしよう。) ボクサーをやっている自分は精神的に強い方だ。とりあえず、飛んでいきそうな平常心を保ちつつ、これからどうしたものかと考えていた。 「木村さん?」 後ろから声を掛けられて振り返ると、の親友、とがいた。 木村は天の助けと考えながら笑顔で返す。 「久し振り。...助けて。」 「コバンザメ現象が起こってる。」 「ちゃん...あれほど外でお酒飲まないように言っといたのに。」 呆れたように言うたちに木村が事の次第を説明した。 「気付かなかったのかねぇ。」 「ま、ちゃんって時々抜けてるからね。」 2人は口々に言うが、その間もは勿論木村にくっついたままだ。 「とりあえず、このちゃんをどうにか出来ないかな?」 木村が困ったように言ってきた。 「ああ、そうですね。ちゃん、おいで。」 が両手を広げて招くとは木村を離れてに抱きついて「大好き」と言っている。 「特に男の人の前ではお酒飲まないように言っていたんですけどね。ちゃん、『大好き』とか言いませんでした?」 「...言われた。アレを言うのも恒例なの?」 「たぶん。私たちも一度しか見ていないんですけど、2人で席を外したときにリミッター外れてああなってたんです。戻ったら料理運んできた店員さんに抱き付いていたんですよ。あ、女の人でしたけどね。やっぱり『大好き』って言ったらしくて。私たちにも抱きつくと言ってきますよ。さっきも言われてたでしょ?」 「でも木村さん、よく平常心を保った。えらい、えらい。ダテにボクサーやってませんね。」 「ちゃんは私たちが送っていきましょう。そのほうが穏便に済むと思いますし。」 「頼める?」 「大丈夫ですよ。」 「じゃあ、お願いするよ。」 その後、木村とたちは別れた。 その翌日。 木村がロードに出ていつものコースを走っていると、人影が見えた。 それは今日はバイトが入っていないだった。 「ちゃん?」 「ああ!木村さん。昨日はどうもありがとうございました。ところで、私何か失礼なことをしでかさなかったですか?途中からきれいに記憶がないんです。姉が言うには昨日は何故かちゃんたちが送ってくれたとか言うし。」 「(しでかしたけど、失礼じゃないよ。ある意味性質悪かったけど。)いや、別に。大丈夫だから。ちゃんたちとは帰る途中で会ったんだよ。ちゃん、ちょっと酔ったみたいだったから二人がちゃんを送るって言ってくれたし、そのままお願いしたんだよ。」 「...そうですか。本当に私、失礼なことしませんでしたか?ところで私って酔うとどうなるんですか?」 「秘密。でも、俺は全然迷惑なんて思わなかったから気にしなくていいよ。それよりも、俺としてはちゃんの就職祝いになったかがかなり心配なんだけど。何ならもう1回食べに出る?」 「いいえ、もう十分です。ありがとうございました。」 そう言ってお辞儀をする。 「そう?まあ、就職祝いじゃなくてもまた食べに行こうよ。」 「そうですね。今度こそ、記憶のある食事を!」 少し話をした後、は帰って行った。どうやら先ほどのことを言うために木村を待っていたようだ。 おそらく、に昨日のことを教えておいたほうが良かったのだろう。 しかし、木村はそれは嫌だった。にさえ教えたくないと思っていた。 昨日のの言葉を自分だけの物にしたかった。それが、酔った時のクセだとしても。 この先、きっとの本気のあの言葉を聞ける者は一人だから。 「...俺も、そろそろ腹括らねぇとな。」 そろそろ決着をつけよう。 ―――自分の、気持ちに。 |
キム兄さん。
色々決心したようですねー。
こんな展開なのにまだ続く(笑)
桜風
05.11.5
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