| 8月の後半、俺は欲しかった本が近所の本屋になかったから大きな書店まで少し足を伸ばしてみる。 「木村さん?」 後ろから声を掛けられたから振り返ってみるとそこにはちゃんがいた。 「ちゃん、どうしたんだよ。...宮田は?」 ちゃんしか見えないから辺りを見渡しながら聞くと、 「今の時期に遊ぶなんて私が許しませんよ。まあ、そんなことする人じゃないですしね。ボクシングが一番ですから。」 苦笑交じりでちゃんが答えた。 「あ、そうか。階級上げて初めての試合があるんだったよな。たしか...ちゃんの誕生日じゃないっけ?これは、勝たないとね。」 「私の誕生日とか関係なく勝ってもらわないと。木村さんは何で今日はここまで出てきたんですか?」 「ん?この本が近所の書店になかったからね。別に注文でも良かったんだけど早く見たかったから。ちゃんは...料理の本?花嫁修業かぁ。」 「いえ。...今度宮田君の誕生日なんですけど、何がいいかって聞いたら私の作ったご飯だって言うんです。そういえば、数年前にも誰かさんに言われましたよね?まあ、それはともかくとして、試合前じゃないですか。だからなるべくカロリーの低いものを、と思いまして。試合とか関係なかったら勝手に作るんですけどね。それで、本が欲しかったからここまで来たんですよ。大きな書店の方が種類も豊富だと思って。逆に豊富すぎて、どれがいいか分からなくなっちゃいましたけど。」 「ふうん。ボクサーの彼女って大変?」 「私は別にどうって事ないですよ。彼女はまだ楽なんじゃないんですか?極端な話、会わなきゃ良いんですから。まあ、今回みたいなことを言われたら少し考えないといけませんけど、そんなに気になりませんよ。でも、奥さんは大変でしょうね。毎日ご飯に気をつけて、日に日に痩せていく旦那さんを見て。」 「他人事のように言ってるけど、ちゃんはその大変な奥さんになるんでしょ?」 「そうですね。でも自分で決めたことですし、フェザー級じゃないだけまだいいんじゃないんですか?大丈夫、何とかなります。...何とかします!」 相変わらず、前向きな子だよな。 「そういえば、親父さんはどうすんの?」 「あー、宮田さんですか。何か、別にいいのに家を出るって言っているそうなんですよ。」 「ふうん。」 宮田が大喜びしてそうだよな... 2人でレジでの支払いを済ませて、 「ちゃん、お茶しないか?兄ちゃんが奢ってあげるよ。」 と言うとちゃんは 「本当ですか?わーい、ありがとう、お兄ちゃん。」 と小さく手を上げて答えた。 そのまま近くの喫茶店に入る。 ちゃんは仕事の話をしていたけど、「そういえば」と言って別のことを思い出したようだ。 「ところで、木村さん。最近ちゃんとどうです?」 突然そんなことを言われて俺は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。何とか吹き出さずにいられたけど、むせて苦しい。ちゃんがテーブル越しに俺の背中を擦りながら「大丈夫ですか?」と言ってくる。 ...何で分かったんだろう。誰にも言ってないのに。 むせながらそんなことを考えていた。 何とか収まったから体を起こして 「どうって...。何も?どうしたのさ、突然。」 と聞いてみると、 「...まだ付き合ったりとかないんですか?私、もう2人は付き合ってるんだとばっかり思っていましたよ。木村さんって、ちゃんの事好きなんでしょ?」 ちょっと待ってくれ。本当、何で分かるんだよ。 そういえば、前にちゃんだったか、ちゃんだったかが言ってたよな。ちゃんは自分に全く関係のないことには敏いって。確かにちゃんは俺とちゃんの共通の友人だけど、この事に関しては全くの第三者。つまり、『自分と全く関係のないこと』になる。あの時は話半分で聞いてたけど本当だったとは...。 「いや、まあ、うん。そうだよ。でも、さ。ちゃんは彼氏と別れたのは3ヶ月前だろ?今言うと、何か弱っているところに付け込むことになるんじゃないかなって...」 俺の言葉を聞いたちゃんは眉間に皺を寄せて首を傾げた。 「や、それはどうでしょう。木村さんは今のちゃんは自棄になって誰とでも付き合う状態にあるって思ってないでしょ?」 「当然だろ!?」 思わず語気が強くなる。 周りの客が注目する。しかし、ちゃんはそんな周りの奴らを静かに見渡した後、俺に向かって満足そうな笑みを浮かべてきた。 「良かった。木村さんがちゃんのことをあんな風に思っていたんだったら、木村さんの紅茶をぶっ掛けるところでしたよ、私。『あの子を見くびるな』って。でも、それなら木村さんがちゃんの弱っているところに付け込むことにはならないんじゃないんですか?私、思うんですけど、銃とかナイフって人を傷つけることが出来ても、それで癒すことって出来ないじゃないですか?でも、言葉は人を深く傷つけることができるけど、逆に癒すことだって出来ると思うんです。確かにちゃんは嘘の言葉で傷つけられてその傷も残っているかもしれません。でもね、木村さんの本当の言葉でそれを癒すことが出来ると思うんです。木村さんはどう思っているかは分かりませんけど、木村さんの言葉って凄く優しいんですよ?」 「そう、かな?」 「そうです。もっと自信持ってください!!」 「...ちゃん、ありがとう。決心がついたよ。俺はただ理屈を並べて逃げてただけなんだ。どんな結果になっても報告するよ。」 「大丈夫ですよ、木村さんなら。木村さんは私の自慢の『お兄ちゃん』なんですから。報告、楽しみにしてますね?」 その日の夜、ちゃんに電話をした。 『です。』 「ちゃん、木村だけど。今から時間貰えないかな?直接会って話がしたいんだ。」 『...分かりました。大丈夫ですよ、外に出て待っておきますね?』 「ありがとう。」 俺は電話を切って彼女の家に向かう。 彼女を乗せて車を走らせた。 俺も彼女も口を閉ざしたままで車内は音楽だけが流れている。 「着いたよ、降りよう。」 目的地に着いた。俺は先に車を降りて彼女もそれに続く。 「...わぁ、きれいな夜景ですね。」 「だろ?この前行ったところの方がきれいに見えるんだけど、人が多かっただろ?ここはちょっと前に偶然見つけたんだよ。俺の秘密の場所だよ。」 俺は深呼吸をひとつした。 「ちゃん。ちゃんにとって俺はちゃんが思っているように『お兄ちゃん』かもしれない。気の合う男友達かもしれない。でも、俺にとってちゃんは1人の女性で、俺の、好きな人なんだ。...いつでもいいから答えが欲しい。」 彼女は目に涙を浮かべて微笑んだ。 「いいえ、答えはもう私の中にあります。私も木村さんが好きです。」 俺は思わず彼女を抱きしめていた。彼女も俺の体に腕を回す。 「ありがとう、ちゃん。好きだよ。」 「私、『好き』っていう言葉がこんなに嬉しくって温かいものだって忘れていました。ありがとうございます。」 俺は彼女の唇に触れるだけのキスをした。 |
早ッ!!
展開、早ッ!!(笑)
キム兄さんも単純ですね〜...
とは言え、『好き』って言葉って本当にステキですよね。
桜風
06.3.4
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