kiss in the sea





「明日海に行こうか、

そう言ったのは蔵馬だ。

「海?」

が聞き返すと蔵馬が笑顔で頷いた。

「行きたい」

「じゃあ、決まり」

明日は休日で蔵馬の会社も
の学校も休みだ。

近くの海水浴場へ行くことにした。

プールには何度か行っているから水着はあるし、明日用意をするのはお弁当くらいだろうか。

が蔵馬に聞くと

「荷物は少ない方が良いから、向こうで買って食べよう」

と返す。

「海の家のやきそばって不思議とちょっと美味しいもんね」

も賛成だったようでそう返した。


学校が夏休みに入る前に、と思って今日行くことにしたのだが、やはり休日は込むらしい。

来る途中の道路も込んでいた。

それは蔵馬も読んでいたことなので、今日はバイクだ。

暑いだろうかと思ったが、
の表情を見る限りは辛くはなかったみたいだ。

駐車場にバイクを止めて海水浴場へと足を向ける。

「うわぁ、海!」

「久しぶりだよね」

以前、幻海のお墓参りの帰りに寄ったことがある。そのときは、本当にふらりと寄っただけだからこうして水の中には入らなかったし、時期もずれていたので人が居なかった。

場所も、もしかしたら、幻海の土地だったからかもしれない。

しかし、本日の海は本当に海らしい海だ。

本当に人が多い。


海の家で浮き輪をレンタルした。

泳げないわけではない。が、何となく。

「ちょっと待ってて」といわれて
は静かに日陰に入って待っていた。

水分補給をしておかなければ、と思って蔵馬はラムネを購入した。

の元へと戻ろうとしたら声をかけられた。

元同級生だ。どうやら彼女たちも近場で済ませようと思ってこの海水浴場にきたらしい。

あー、面倒くさいな...

そう思いながら早く話を切り上げるタイミングを作るために愛想よく言葉を交わすことにした。


遅いなー、と思いながら
は海の家へと足を向けた。

ドキリとした。

知らない、女の子と笑いながら蔵馬が話をしている。

これは世に言う逆ナンとかいうやつか?!

しかし、と
は自分の胸に手を当てた。

ああ、小さいな...

物理的なものの大きさではなく、器のことだ。

何で話をしているだけでこうも胸がざわつくのか。

ふと、視線をめぐらせてきた蔵馬と目が合いそうになった。

はあわてて死角に隠れて蹲る。

見つかってないかな。大丈夫だよね...

小さくなって自分に言い聞かせる。

「お嬢ちゃん、どこか具合が悪いのかい?」

顔を上げるとおじいさんが立っていた。

「い、いいえ。大丈夫です」

「だったら、儂に食われるかい?」

そう言うと、おじいさんだと思っていた者の口が頭まで裂ける。

背筋に冷たい氷が奔ったような感覚に陥った。

「何をしようとしている」

ギギ、と壊れたぜんまいのようなぎこちない動きで
に声をかけてきた妖怪が振り返る。

冷たい、金色の瞳をした蔵馬が立っていた。

容貌は南野秀一のままだが、瞳だけは妖狐蔵馬のそれだった。

ひぃっと短い悲鳴を上げて妖怪は逃げていく。

?」

「びっくりした...」

そして、はっとする。まさか、数年前に幻海が自分に施した結界がもう綻んできたのだろうか。

「違うよ。結界はまだ大丈夫。あいつは..その..平たく言うと選ばないタイプなんだと思うよ。霊力の強い者を食って自分を強くしようとするのではなく、腹が減ったから何でも食べるっていう感じかな?怪我はないね?」

蔵馬が手を伸ばすとそれにつかまって立ち上がる。

「さっきのおじいさん、他の人食べちゃうの?」

心配そうに見上げて言うから蔵馬は仕方ない、とロッカーに向かう。

荷物から携帯を取り出して幽助に連絡を入れて対応を頼んでおいた。

「幽助に話したから、魔界の方がすぐに対応してくれるよ」

「よかった」と
は胸をなでおろした。


少し温くなってしまったラムネを
に渡して水分を取らせた。

「じゃあ、引っ張ってあげるから海に入ろう」

の考えが分かった蔵馬はそういって手を差し出す。

「えへへ」と照れくさそうに笑って
はその手を取った。

蔵馬が浮き輪の紐を引っ張りながらぐんぐんと沖に向かっていく。

泳げなくはないが、この距離で蔵馬に手を離されてさらに浮き輪がないとさすがに戻れない。

「ねえ、遠くまで来てるよ」

「そうだね」

蔵馬はなんでもないように言った。

」と蔵馬が呼ぶ。

「何?」

「さっき、何で隠れたの?」

ドキリとした。見つかっていたのか...

「秀一が、楽しそうにお話していたから。逆ナンっていうんだよね?」

の言葉に蔵馬は大仰にため息をつく。

まあ、ある意味逆ナンだったな...

「高校のときのクラスメイト。
は覚えてない?」

「知らない子に見えたよ」

まあ、彼女と自分は同じクラスにならなかったからな...

「適当に話を切り上げようと思ったのにしつこくて。やきもち、焼いてくれたのかな?」

いたずらっぽく言う蔵馬の言葉に
はかなり躊躇ったあと頷いた。



呼ばれて顔を上げるとキスをされた。

は目を丸くした後、しばらくして「ここ、外!」と抗議をする。

しかし蔵馬は「そうだね」といってまたキスをする。

「何のために、こんな沖まで泳いだと思ってるの?今の俺達は人間の視力では、豆粒くらいにしか見えないと思うな」

そう言う蔵馬に「えーーーーー!」と
が驚いて声を上げたがそれは途中で蔵馬の唇に遮られた。

「やきもち焼いてもらえるのは嬉しいけど、不安にさせてしまったのなら申し訳ないから」

何か、とってつけたような理由だなと思う。

しかし、そんな考えも蔵馬と唇を重ねているうちにだんだん溶けていく。


遠い沖にいる2つの豆粒は長い間重なって離れなかった。









桜風
09.7.1