別れ





仕事が終わって帰宅の途についていると携帯がなった。

ディスプレイに表示してある人物の名前に首を傾げながら通話ボタンを押す。

『蔵馬か?』

「幻海師範。どうされたのですか?」

彼女からの電話はもの凄く珍しい。

時々、ff8080の家のほうの電話になら掛かってくる。

その電話を取るたびに本当に彼女の事を大切に想っている人だと思い、
もまた、幻海を慕っていることがよくわかる。

『今度の土曜か日曜。仕事はないだろう?』

蔵馬、というか南野秀一の義父が経営している会社は土日が休みの週休二日制だ。

「ええ」と返事した蔵馬に『では、どちらかにうちに来てくれないか』といわれた。しかも、
には内緒で、と。

益々首をかしげる蔵馬だが、断る理由はないので承諾して、土曜日に行くことを告げて通話を切った。


家に帰るとドアに鍵が掛かっている。

ああ、そうか。今日は
はバイトだったな、と納得して鍵を挿してドアを開けた。

しかし、何だってまた幻海は自分を呼び出したのだろうか。

しかも、
には内緒と言うところが特に気になる。

一緒に幻海のところに行ったことは何度もあるし、魔界との折衝の話等になると
はふらりと姿を消す。

邪魔をしてはいけないという気遣いだろう。

だから、一緒に行っても別に困ることはないだろうと思うのに...

夕飯を作りながらそんな事を思っていると
が帰ってきた。

彼女の「ただいま」は元気が良くて好きだ。

疲れていないのかといったらそうではないはずだ。

でも、彼女の「ただいま」は家に帰ってきたことに対する喜びのような感情が含まれている気がする。

両親がなくなってからその「ただいま」に返ってくる言葉がなかったから言わなかったと彼女は言っていた。

でも、今は蔵馬が居るから「ただいま」が言えるから嬉しいのだと聞いたとき、何だかとても温かな気持ちが胸の中でじわりと広がった。



「土曜日ちょっと出かける用事があるから」と
に言うと「はーい」と返事があり、何処へ行くのかとも全く興味を示してもらえなかった。

それはそれで寂しいなどと思いながら、当日はバイクで出かけた。

お土産を購入して幻海の寺がある山のふもとにバイクを止めてそのまま駆けた。

家から直接そういう方法でいけなくもないが、目立つのでそれは諦めた。

「こんにちは」と玄関に入って声を掛けると幻海が出てきた。

「すまんな、態々」

「いいえ。これ、お土産です。
の話だと結構いけるみたいですよ。大学の友達に教えてもらったって言ってました」

そう言いながら渡したのは和菓子だ。

居間に通されて幻海を待った。

茶器とポットを持ってきた幻海に「俺がやりましょう」と声をかけて2人分のお茶を淹れる。お茶請けは蔵馬が買ってきた和菓子だ。

「ほう、中々美味いな」

「そうですね。甘すぎずに上品な味ですね」

そんな会話をしていたが蔵馬が話を切り出した。

「それで、どうしたんですか?俺だけって...」

蔵馬の言葉を前に幻海はお茶をすすった。

辛抱強く待っているとやっと幻海が口を開いた。

「蔵馬、
を魔界に連れて行ったそうだな」

何故そのことを知っているのだろう...

無意識に眉間に皺を刻んで蔵馬は頷いた。

「ここを訪ねてくる妖怪たちが愉快そうに話していたぞ。あの元大盗賊の妖狐蔵馬が人間の女の子を連れて来た、とな」

「まあ、散々からかわれましたけどね」

溜息交じりに蔵馬が言う。

は喜んでくれたが、出来ればもう行きたくないと思うのが正直なところだ。

そんなに『蔵馬』に会いたいのだったら、家でいくらでも会わせてあげるつもりだし。

しかし、話が進まない。

もう一度促そうと口を開いたところで「本性も、見せたのか?」と問われて虚を突かれた気分だ。本性、ということは妖狐の姿の事だ。

「ええ、尻尾が気に入られてしまいました」

蔵馬の言葉に幻海は一瞬目を丸くしてやがて豪快に笑い出す。

「ときどき、俺の後ろを見てるから尻尾を出した方がいいのか悩みますよ」

もうどうとでもなれ。笑われるのはもう慣れた...

そんな感じに続けた蔵馬をまたもや愉快そうに声を上げて幻海が笑う。


ひとしきり笑った幻海が不意に「蔵馬」と名を呼ぶ。

「なんですか?」

「人の寿命は妖怪に比べたら本当に短い」

「南野秀一の寿命は、少し..平均よりは短いと思いますよ」

蔵馬が同意する。以前母のためとはいえ、寿命を縮めた。だから、他の者よりは南野秀一の寿命は短めだと思う。

「あたしの寿命はもう殆ど残っていない」

幻海の言葉に蔵馬の思考が止まった。

考えなかったといえば嘘になる。

以前、
の両親の墓参りに行ったときも住職に似たようなことを言われた。

しかし、それは推測に過ぎない話だと思っていた。

「驚かせたかい?まあ、これだけピンピンしているんだから縁遠い話だと思われても仕方ないだろうけどね。でも、間違いはない。と、言ってもあたしがそう感じているだけだ。別にコエンマに確認なんてのはしていない。それでも、長く生きているのは確かだ」

幻海の言葉を否定できず、蔵馬は頷いた。

「ちょっと前までは
の事が気がかりだったが、今は蔵馬が、南野秀一という人物があの子の傍に居てくれる」

「それでも、
はあなたを慕っていますし、あなた以外、あなたでありえません」

何を当たり前の事を口にしているのだろう。

言葉を探していると「蔵馬」と少し柔らかい声が耳に届く。

「あたしは、死にたくないとかそういった事を言っているんじゃない。死は誰にも平等に訪れるものだ。だから、それを避けたいとか思わないし、受け入れるだけの時間は沢山貰っている。バカだが、一応は可愛い弟子と呼べる者も得た。血の繋がりはないが娘と呼べる子とも出会えた。これは、きっとかなり幸福な部類に入る。そして、バカ弟子はともかく。娘を守ってくれる男が現れた。心配事が減ったよ」

言葉を探す蔵馬に幻海はまた笑う。

「あの子も、お前を受け入れたのだろう?」

その言葉に魔界で
に言われた言葉を思い出した。妖狐蔵馬の姿を見ても彼女は全く気にせず、寧ろ気に入った。彼女は『蔵馬』という存在を受け入れたのだ。

については、あたしの心配事はもうないよ。学費についてはちゃんと残すだけのものはあるし、安全面についてはお前が居る。なあ、蔵馬」

「...はい」

「寿命は如何ともしがたいものだよ。だから、静かに受け入れるしかない。あたしは十分生きている。
の事を、頼みたい。あのこの子とに関しては、蔵馬、あんたに託すのが一番の適任だと思うし、それ以外思いつかない。託されてくれるかい?」

蔵馬は深く頷いた。

幻海は、
を託すために自分を呼んだのだ。

は、このこと。師範の寿命の事は...」

「聡い子だから、気づいているかもしれないね。勘も良いし。寿命で死ぬってのは本人も周囲も心の準備が出来る。けど、突然の事故で亡くなる人も少なくない。
の両親がそれだ。お陰であの子は死に対して敏感だが、それでも受け入れることは出来る。もし、あの子があたしの死を受け入れられなくて、挫けてしまってもお前が居る。もう、あたしが死んでもあの子がひとりになる心配をせずに済む」

蔵馬はひとつ頷き「わかりました」と答えた。

「すなまいね、あたしのわがままだ」

「いえ、俺自身がそうしたいって思っていますから。でも、出来るだけ長生きしてくださいよ。
、学校のほうも頑張っているんですから」

「まあ、あと数年は持つと思うから。心配事はもう少し先だよ」

幻海の言葉に蔵馬は頷き、そして寂しそうな笑みを浮かべた。



幻海の言ったとおり、彼女は数年生きて、そして静かに息を引き取った。

彼女の死は妖怪と人間双方の多くが悼み、彼女との別れを惜しんだ。

「幻海さん、凄いね」

葬儀は桑原の姉の静流が仕切ってくれた。

沢山の人や妖怪に別れを惜しまれているその様子を少し離れたところから眺めながら
が呟く。

「師範は、敵が多いけど味方も同じくらい居たから。この寺一帯には人間に追われた多くの妖怪が隠れ住んでたりするしね」

蔵馬はそう答えて
を見る。

「大丈夫?」

思わず出た言葉に溜息を吐きたくなるが、それを堪えた。

「大丈夫。夕べ、幻海さんが来てくれたから。あたしは先に行くけど、
はゆっくりおいでって」

苦笑しながらそういう
の肩を蔵馬はそっと抱き寄せた。

「俺が居るから」

「うん」

空を見上げてあの世への水先案内人と共に空に浮かんでいる幻海に手を振った。

彼女はいつものように力強く微笑んでおり、そして、水先案内人と共に去っていく。

あっけない別れが、とても幻海らしくて笑みが零れた。



ひとまず、幽白の更新はこれをもって停止させていただきます。
最初から幻海師範との別れが一区切りと言うか、とりあえずキリが良いと私の中で決まっていたことなので。

此処までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
ネタが浮かんだら、ふらりと更新されていると思いますので、気が向いたら覗いてみてください。


桜風
08.7.21


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