| ダイニングに戻ると一の母親がコーヒーを入れてくれた。 「で、ちゃん。私に会いたいって言ったけど、何?」 ここへ招待してもらった理由をちゃんと覚えてくれていたようだ。 「今年の5月に、北海道に行ったの」 「北海道?」と一の母が首をかしげる。 「最初の母が今そこに住んでるんです」 『最初の母』という表現に少し戸惑いながらもつまりは自分の知っている彼女の母親だと気づいて頷いた。 はあの時母から聞いた話をした。 一の母親は目を丸くして驚き、そしてやさしく微笑んだ。 「ほんっと、遠回りしすぎよね。あれから何年経ったと思ってるのかしら?」 「今でも、あの人はダメ母だと思います。母親って言うには、ちょっともう交流がなさ過ぎたし、もちろん、触れ合いも。けど、あの人の精一杯を見ることができました。感じることができました。 だったら、もういいかな、って。仕方なかったんだなって思えて...」 「そう」と少し口元に笑みを浮かべて一の母はコーヒーを飲む。 「瑞希..えーと、一以外の幼馴染なんですけど。聖帝のクラスメイトで昔遠い親戚だった子なんですけど。瑞希に、言われたんです。母親を許せたか、と。父親を受け入れることができたか、と」 「どうなの?」 「正直、分からないままです。ただ、一緒に居ての息苦しさはなくなりました。わたしが大人になって、あの人たちの存在の必要性がなくなったからだとは思うんですけど... あ、これって、嫌味とかこう..恨みとかじゃないです。わたし、一の家が特別だって思ってましたから」 の言葉に「どういうこと?」と彼の母親が促した。 「おばちゃんって仕事してるけど、子供のために仕事休むし、早退とかしてたじゃないですか」 頷く一の母には続ける。 「大人にとって、仕事が一番大切なことだと思ってたんです。ほら、身近な大人がアレでしたから。だから、一のお母さんって変わってるなー、って」 「まあ、キャリアウーマンって呼ばれるものとしては、変わってたかもね。けど、それをひっくるめて生むって決めたんだしねぇ」 そう話した一の母親はまさしく母親の表情で、幼いが憧れたものだった。 しばらくカップの中に視線を落としていたが口を開いた。 「わたしね、恋とか愛とか未だにわかんないんです。友達は、頭でっかちで経験値が足りないって言います。そのとおりだと思うんだけど、恋とか愛とかって本に書いてあってもそのとおりにならないでしょう?マニュアル本とか読んでも、恋をしてからの話ばかりで...誰か教えて、って思うことがあります。みんな普通に..息をするのと同じように恋をしてるのに、って」 5年かかって答えが出ていない。 たぶん、彼女の胸の中にも『恋』はあるのだろうが、どれが恋かと頭で考えているから分からないのだろうな、と一の母は思った。 「マニュアル本には書いてないわよ。恋って頭でするものじゃないもの。恋は、ココでするものよ」 そう言っての胸を指した。 「誰かのことを考えるとそこら辺がきゅうってなったり、ドキドキって早鐘のごとく心臓が走ったり。そういう不安定で目に見えなくて、人によって色々な症状だからこれが恋だって断定できる人は居ないと思う。 ただ、誰かを特別に思ったらきっとそれが一番近いんじゃないかしらね。けどね、恋って結構醜いものなのよ。嫉妬とか当たり前。だって、自分を見てほしいって思うのが恋だもの。相手も自分のことを好きで、大切にしたいって思ってほしいとか...我侭になっちゃうかもね」 「我侭...」 「可愛いものよ。第一、好きな人が自分を好きでいて!って我侭言ったらそりゃもう..堪んないと思うわ」 それって、良い意味での『堪んない』だろうか... 「そうよ。良い意味」 は目を丸くした。 「ちゃんってずいぶん素直になったわ。考えていることが顔に出るもの」 そう言って一の母親はウィンクした。 「ね、ちゃん。傷つくことを恐れたままじゃ恋はできない。もちろん、傷つけられることもあるわ。泣いちゃうことも、もうイヤだって思うこともあるわ。けど、同じだけ良かったと思うこととか、嬉しいと思うこともあるの。ドーンとぶつかってダメだったら仕方ないなーって思っちゃいなさい。ずーっと二の足を踏んでたら恋なんてできないわ。逞しくならないと」 「逞しいつもりだったんだけどなぁ...」 呟くに一の母親は目を細めた。 「まだまだ。もっと図太く生きなさいよ。あなたは誰かを大切にすることはちゃんとできるんだから。一番大切なことができてるんだから、大丈夫よ」 は照れたように俯いて笑った。 あどけなさが覗くその表情に一の母は笑った。 イヤ、もうホントたまんなく可愛いんですけど... 実はもう風呂から出てきてダイニングの前に居る息子に見せてやりたいくらい無防備な笑顔を目にして、ちょっとだけ得した気分を味わった。 |
桜風
09.11.13
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